B 27

写真:近鉄が導入したMATISA・B 27(原型の姿)
近畿日本鉄道『50年のあゆみ』,1960年,近畿日本鉄道,p.236より

 


 

B 27は、MATISA製のマルチプルタイタンパー。日本ではスタンダードに続いて導入された機械式マルタイである。

 

■概要

国鉄が導入したB 27
白井(1973),p.3より

本機種はスタンダードの改良型に当たる1)。構造上最大の改良点は、タンピングユニットの位置を車体中央から車端に変更したことである。これは、タンピングユニットが車体中央にあると、つき固め前の線路に自重が掛かり仕上がりに影響してしまうという、スタンダードの弱点を踏まえたものである。タンピングユニットが車端にあればつき固め箇所に自重が掛かりにくくなるが、その一方で曲線区間ではツール位置が線路から左右にずれてしまうため、車体を±100mmの範囲で横に振り、位置を調整する機能を備えている2)

 

車体横振りの様子
レール上から左右に動いていることが分かる
村山(1958)より

また、タンピングユニットにも各種の改良が加えられた。つき固め深さが2段階に調節できるようになり、最大3回まで自動で繰り返しつき固めする機能も搭載された。タンピングユニットの上下動は圧縮空気式から油圧式に変更されて保守性が向上するとともに、機器が小型化されて作業員輸送スペースの拡大にも繋がっている3)

 

タンピングユニットの手前(画面右)でレールを押さえているオイルダンパー
村山(1958)より

そのほか、車体前方にはオイルダンパーが付き、つき固め時にレールを押さえることで振動がレールに伝わることを防止できるようになった。また、事前に設定したマクラギ間の距離を自動で移動する機能も備わっている。これらの改良により作業能力が200m/hとなり、スタンダードの150m/hから大きく向上した4)

 

■運用

B 27もスタンダードと同様に広く世界へ販売された。しかし、後継機種であるB 60への移り変わりが早かったためか、日本では国鉄が1958年から1960年にかけて3台5)、近鉄が1959年に1台6)と、少数のみの導入にとどまった。

 

つき固めをするB 27の手前で豆ジャッキにてレールを持ち上げる様子
村山(1958)より

国鉄のB 27はレベリング装置の開発試験に用いられたことが特筆される。レベリングとはレールの高低・水準(傾き)を整正することであり、従来は人力でつき固め作業箇所の手前の高低・水準狂いを測定し、レールをジャッキアップ(こう上)することで行われていた。

 

国鉄型レベリング装置を搭載したB 27
秋元(1963)より

 

国鉄型レベリング装置の機構概念図
伊能(1963)より

この作業を自動化するため、マルタイ側に搭載した測定装置とジャッキからなるレベリング装置の開発が、1962年より国鉄で試みられた7)。これは、後継機種のB 60よりMATISAがレベリング装置を搭載した(BN 60)ことに触発されたものと思われる。この装置は図中のC-D面の高さを基準として使い、B点を基準の高さまでこう上し、A点の測定装置は誤差の補正に使うという仕組みであった。しかし、装置自体が大掛かりであったためか、またはメーカー型のレベリング装置が普及したためか、国鉄型レベリング装置が発展することは無かった模様である。

 

防音改造された近鉄のB 27
左側のタンピングユニットがカバー
に覆われている
小林(1973)より

近鉄のB 27は名古屋線改軌工事の際に導入された8)。機械式マルタイは作業効率や効果が人力作業と比べて絶大な反面、作業時の騒音もかなり大きい。本機種では機関前部で110dBもの騒音を発しており、近鉄では使用開始直後より沿線住民からの苦情が絶えなかったことが記録されている。作業前に沿線へビラを配るなどして理解を得る努力を重ねたが、根本的な解決策として次に導入されたB 60では大型の防音カバーを搭載した。この対策に一定の効果があったため、B 27にも追加で防音カバーが設置されている9)。このB 27は1972年7月に廃車となったが、すぐには解体されず、少なくとも1990年代後半までは高安で保管されていた10)

 

■配置一覧

各車の配置は以下の通り11)

財産番号 所属 取得年月
5504 東京・田端機械軌道区 1958年8月
8304 大阪・尼崎機械軌道区 1960年3月
11245 中国・広島機械軌道区(東京より転属) 1960年3月
近畿日本鉄道・上本町営業区 1959年

 

■諸元

標準的な諸元は以下の通り12)

全長 6.03[m]
全幅 2.27[m]
全高 2.54[m]
自重 13.5[t]
作業能力 200[m/h]
タンピングツール 1丁づき16頭
ツール振動用シャフト回転数 1950[rpm]
エンジン GM 3045C 75[HP]/1800[rpm]
油圧装置 Vickers V-33-024-1A11
コンプレッサー Westinghouse 236PT-7-01a 7.5[kg/cm^2]
自走速度(回送時) 40[km/h]
運転操作人員 2名

 

■脚注・文献

1)正確には、スタンダードとB 27の間にB 24と呼ばれる機種が存在した。外観はB 27とほぼ同じであり、本記事で挙げた改良点の多くはB 24の時点で既に取り入れられていたものと思われる。しかし、情報が少なくB 27との違いが不明瞭なこと、および日本には導入されなかったことから、本記事では省略する。MATISA Equipment Corporation「NOTHER MATISA ELECTRIC FLASH RAIL WELDER NOW IN PRODUCTION」『Railway Age』142巻8号,1957年,p.9.Construction Cayola『Les bourreuses Matisa : 75 années d’innovation』https://www.constructioncayola.com/rail/grands-formats/2020/10/13/130523/grand-format-les-bourreuses-matisa-75-annees-innovation(2023/04/03取得).

2)村山 煕「新型マルチプルタイタンパ」『新線路』12巻8号,1958年,グラフp.

3)秋元 清「新しく輸入されたタイタンパ」『施設教育』11巻11号,1958年,pp.13-15.

4)秋元,前掲3.白井 国弘『保線機械の取扱と事故防止:マルチプルタイタンパ』1973年,アース図書.湯本 幸丸『写真解説保線用機械(改訂増補5版)』1980年,交友社.

5)日本鉄道施設協会「保線データ・シートNo.8:保線機械その1」『鉄道線路』13巻7号,1965年,pp.付録143-156.施設局保線課『保線用機械一覧表:昭和41年3月31日現在』,1966年.

6)河村 猛・出口 俊和「近鉄のマルタイ作業」『新線路』41巻10号,1987年,pp.19-21.

7)秋元 清「マルタイのレベリング装置」『鉄道線路』11巻7号,1963年,グラフp.伊能 忠敏「自動マルタイ」『新線路』17巻5号,1963年,p.47.

8)河村・出口,前掲6.

9)小林 陽三「保線作業機械化の方向と騒音対策」『鉄道線路』21巻3号,1973年,pp.32-36.

10)河村・出口,前掲5.松田 務「腐ってもマルタイ:今、明かされるマルタイのすべて…」『トワイライトゾ~ンMANUAL』5号,1996年,pp.190-209.

11)日本鉄道施設協会,前掲5.施設局保線課,前掲5.河村・出口,前掲6.

12)湯本 幸丸『写真解説保線用機械(改訂増補5版)』1980年,交友社.