スタンダード

写真:田端機械軌道区に配置されたMATISA・スタンダード
交通博物館編『鉄道の日本』,1964年,交通博物館,p.100より

 


 

MATISA La Standardマチサ・スタンダード)は、MATISA最初のマルチプルタイタンパーである。

 

■概要

本機種の源流は戦前に遡る。

 

ビータによる人力タンピング作業の様子
交通博物館編『鉄道の日本』,1964年,交通博物館,p.100より

鉄道の道床はバラスト(砂利)がマクラギを保持することで構成されているが、列車が繰り返し通過することで次第にバラストが動いて保持力が緩み、レールの水平・水準が狂った状態で固まってしまう。そのため、定期的にバラストをつ(搗)いてかき寄せ直す必要がある。この作業(つき固め)は鉄道の実用化以来、大人数でビータ(つるはし)やハンドタイタンパーなどを用いて人力で行う重労働であった。

つき固め作業を機械化するため、スイス・ルナンに工場を構え、鉄道用除草機やバラストクリーナーなどの保線機械を設計・製造していたCharles-Auguste Scheuchzerチャールズ・アウグスト・ショイヒツァー)は、1930年代初頭に機械振動式のタンピングツールと、それを車載化した自走式道床つき固め機(仏:Bourreuseマルチプルタイタンパー)を開発した1)

 

1938年発表のScheuchzer製マルタイ
既に現代のマルタイに近い形状のタンピングツールを有していた
Verlags-AG der akademischen technischen Vereine(1938),p.234(右),p.235(左)より

道床つき固めの機械化は以前から様々な方法が試みられていたが、特にScheuchzerが改良を重ねて1938年に発表したマルタイは、当時において最も完成度の高いものであったと言える。この機種は、圧縮空気動力で上下するタンピングユニットに16頭のツールを有し、これを振動させながらスムーズにバラストへ押し込み、ツールをハサミのように閉じることでバラストを枕木の下へかき寄せる、という仕組みであった。ユニットは自走可能な車体の中央に設置され、一連のつき固め作業の少人数で操作できるという画期的な構造を持っていた2)

今日「マルタイ」と呼ばれる機械の基本形はここに完成されたのである。

 

MATISAの広告に掲載されたスタンダード
細部を除けばScheuchzer時代と同一であるのが分かる
『Revue économique franco-suisse』33巻11号,1953年,広告pより

Scheuchzer社は1934年にAugust Ritz(アウグスト・リッツ)が買収しており、戦後の1945年5月、RitzはConstantin Sfezzo(コンスタンタン・スフェッゾ)と共同で新たに保線機械専門メーカー・MATISAマチサマティサ)社を設立した3)。MATISAは最初のマルタイとしてスタンダードを発売したが、形状から分かるように本機種はScheuchzer時代のマルタイとほぼ同型であったと言える。

 

■運用

スタンダードは各国に販売され、保線作業の機械化が世界へと広まっていった。

 

日本国鉄に導入されたスタンダード
白井(1973),p.3より

 

日映科学映画製作所による記録映画に登場するスタンダード
(NPO法人科学映像館配信映像より)

日本国鉄も1954(昭和29)年に第1号機を導入し、7月にMATISA社員を招いた習熟運転が行われたのち8月より正式に使用が開始され、これが本邦最初のマルタイ導入例となった4)。その後、国鉄はスタンダードを計10台を導入し、私鉄でも1956年に東急が5)、1957年に京急が6)本機種をそれぞれ1台導入している。

 

京急に導入されたスタンダード
本機は輸入されたスタンダードのうち、唯一の1435mm軌間仕様であった
当時のMATISAのメーカー標準塗装は濃緑色であった模様で7)、国鉄・私鉄ともに輸入当初は本機のような暗色で写っている姿が記録されている

京浜急行電鉄『最近の十年』,1958年,京浜急行電鉄,p.37より

当初は低質なバラスト・マクラギを使用した日本の道床との組み合わせの悪さや、不慣れなオペレーターの操作によって、マルタイを使用すると逆に線路状態を悪化させてしまうこともあった。しかし、次第に線路規格の強化やオペレーターの習熟が進み、保線作業の効率化に貢献した8)。その後、1960年代以降は本機種の発展型であるB 27、B 60が各社に導入されるようになり、さらにその後継機種であるB 80・85も大量に輸入され一時代を築いた。また、芝浦製作所製の国産電動マルタイのうち初期のもの(MTT-4~15)は、外観やタンピングユニットの配置がスタンダードとよく似ており、本機種から大きく影響を受けたものと推測される。

このように、スタンダードはマルチプルタイタンパーという機械のパイオニアとなった、記念すべき機種だったと言える。日本に輸入された個体のうち、京急のものは1975年頃まで、国鉄のものは1976年頃まで使用されていたという9)。また東急のものは引退後、当時の高津駅にあった「電車とバスの博物館」で展示されていたが、同館移転時に解体されてしまった10)

 

■配置一覧

1965年頃における各車の配置は以下の通り11)

財産番号 所属 エンジン 取得年月
5501 東京・田端機械軌道区 Hercules 1954年5月
5502 東京・田端機械軌道区 Hercules 1955年10月
5503 東京・田端機械軌道区 GM 1957年3月
5505 東京・田端機械軌道区 GM 1959年7月
5508 東京・田端機械軌道区 Hercules 1960年4月
7181 名古屋・稲沢保線区 GM 1958年4月
8101 大阪・尼崎機械軌道区 Hercules 1955年8月
8102 大阪・尼崎機械軌道区 GM 1957年4月
8103 大阪・尼崎機械軌道区 GM 1958年4月
11652 門司・門司保線区 Hercules 1960年5月
東京急行電鉄 (不明) 1956年
京浜急行電鉄 (不明) 1957年

エンジンは2種類存在した。この当時、つき固め能力の大きい機械式マルタイは高価な装備で、その配置から都市部や大幹線である東海道・山陽筋に集中配備されていたことが分かる。

 

■諸元

標準的な諸元は以下の通り12)

全長 5.4[m]
全幅 2.1[m]
全高 2.5[m]
自重 9.5[t]
作業能力 150[m/h]
タンピングツール 1丁づき16頭
ツール振動用シャフト回転数 1840[rpm]
エンジン Hercules DJXC 75[HP]/2000[rpm]
または
GM 3045C 75[HP]/1800[rpm]
コンプレッサー Ingersoll Rand 30-15T 17.5[kg/cm^2]
自走速度(回送時) 40[km/h]
運転操作人員 2名

 

■脚注・文献

1)Dictionnaire historique de la Suisse (DHS) – Histoire suisse『Scheuchzer (VD)』https://hls-dhs-dss.ch/de/articles/025454/2011-05-12/(2023/01/30取得).Scheuchzer S.A.『Sur les rails de l’excellence』https://www.scheuchzer.ch/notre-histoire(2023/01/30取得).

2)Leon Zaayman「The History of Tamping Machines」『Railways Africa』7月号,2011年,pp.10-14.Verlags-AG der akademischen technischen Vereine「Geleisestopf-Maschine System “Scheuchzer”」『Schweizerische Bauzeitung』111巻18号,1938年,pp.234-235.

3)Dictionnaire historique de la Suisse (DHS) – Histoire suisse『Ritz, August』https://hls-dhs-dss.ch/fr/articles/030816/2009-11-02/(2023/01/30取得).Dictionnaire historique de la Suisse (DHS) – Histoire suisse『Sfezzo, Constantin』https://hls-dhs-dss.ch/articles/030818/2010-12-28/(2023/01/30取得).

4)日本保線協会編『保線年報1954』,1955年,日本保線協会.

5)日本保線協会編『保線年報1959』,1959年,日本保線協会.

6)加藤 栄一「マルチプルタイタンパ作業によるバラストコンパクタ併用作業」『新線路』46巻1号,1992年,pp.47-49.

7)MATISA社によるスタンダード復元保存車(hellertal.startbilder.de『Eine historische Matisa Stopfmaschine, die 1te Standard Stopfmaschine auf dem Markt, ausgestellt auf der iaf 2022 in Münster』https://hellertal.startbilder.de/bild/schweiz~bahndienstfahrzeuge~planier–und-stopfmaschinen-normalspur/777045/eine-historische-matisa-stopfmaschine-die-1te.html(2023/02/08取得).)の塗装や、フィンランド・トイヤラ機関車博物館におけるB 27保存車復元時の考証(Matisa-projekti『Värin valinnan vaikeus ja pintamaalauksen helppous』https://matisa-projekti.blogspot.com/2011/07/varin-valinnan-vaikeus-ja.html(2023/02/08取得).)に基づく.

8)鬼澤 淳「保線の100年:道床つき固め」『国有鉄道』30巻9号,1972年,pp.30-35.日本保線協会編,前掲5.

9)城田 九一「京浜急行・保線の現状と展望」『鉄道線路』23巻11号,1975年,pp.14-18.森沢 雅臣「グラフで見る保線107:マルタイの推移」『新線路』32巻9号,1978年,pp.42-43.

10)国立科学博物館産業技術史資料情報センター『産業技術史資料データベース』https://sts.kahaku.go.jp/sts/detail.php?no=100910281143&c=&y1=&y2=&id=&pref=&city=&org=&word=&p=335(2023/02/03取得).東京急行電鉄『東急100年史 資料編25:鉄軌道事業 歴代車両』https://www.tokyu.co.jp/history/pdf/tokyu100th_data_25_reki-syaryou.pdf(2023/04/22取得).

11)日本鉄道施設協会「保線データ・シートNo.8:保線機械その1」『鉄道線路』13巻7号,1965年,pp.付録143-156.施設局保線課『保線用機械一覧表:昭和41年3月31日現在』,1966年.

12)湯本 幸丸『写真解説保線用機械(改訂増補5版)』1980年,交友社.