MTT-15

(写真:MTT-15A  昭和37(1962)年夏に東京の晴海ふ頭で開催された「伸びゆく鉄道科学大博覧会」にて撮影と思われる。)



(写真:MTT-15D 上記MTT-15Aと比べると直流発電機とマニホールドBが左側面に見当たらない事が分かる。湯本幸丸(1967)p46より引用)

■概要
昭和37(1962)年から67両1)が製作されたMTT-14の改良型である。まず昭和37(1962)~38(1963)年の二カ年でMTT-15Aが国鉄へ納入された。
基本的な構造はMTT-14に準ずるが、下記の箇所で改良が加えられている。

・走行装置…走行用電動機が廃止され、従前の電動機走行からエンジン直結走行に改良されている。これに伴い運転台にアクセルペダルが追加されている。
・油圧装置…搗固めクラッチとブレーキの連動操作が油圧制御化され、これらのチェックバルブおよびシーケンスバルブが取付されているマニホールドBが運転台左側レール方向に追加されている。
・三相交流発電機…MTT-14では交流発電機の励磁電流を灯具などの直流電源としていたが、本機種ではエンジンを動力とする直流発電機が搭載されるようになり、灯具の他に交流発電機の励磁機の電源も兼ねるようになった。
・制動装置…MTT-14では後輪2輪のみ制動であったが、本機種からMTT-14以前と同じ全輪制動に回帰している。

続いて昭和39(1964)年から更なる改良型であるMTT-15Dが国鉄へ納入された。主な改良点は作業走行が油圧モーター駆動に変更された点で、ほぼ同時に製作されたMTT-17にも同機能が搭載されている。この他、直流発電機の搭載位置が交流発電機の左側から右側へ移動し、マニホールドBの設置位置が運転台左側から何れかの位置に移動している。

国鉄における昭和40(1965)年時点のMTT-15Aおよび15Dの配備先は下記の通りである。

配備先鉄道管理局/台数(MTT-15A)/台数(MTT-15D)
釧路 2 1 名古屋 1 2
旭川 1 1 金沢 2 1
札幌 1 1 天王寺 1
盛岡 3 1 米子 1
秋田 2 四国 1
仙台 2 1 中国 1
新潟 2 2 門司 1
水戸 1 大分 1
千葉 1 熊本 1
東京 1 鹿児島 1 3
長野 1 三島(教) 1
静岡 2 合計 262) 173)

鉄道線路(1965)記載の一覧表から抜粋し作成

MTT-15Aの諸元を下記に示す。

全長×全幅×全高 4.8m×2.4m×2.8m
総重量 8,600kg
原動機 型式 いすゞDA220
(ディーゼル)
定格出力 48ps/1,800rpm
3相交流
発電機
4P-25KVA,1,800rpm,
220V,65.5A-60c/s-3φ
油圧装置 油圧ポンプ
駆動用
電動機
なし
(油圧ポンプはエンジンよりVベルトで駆動)
油圧ポンプ 油研LT-R(2台搭載)
吐出量30L/min-50kg/cm2-1,200rpm
常用圧力 50kg/cm2
タイピング
装置
起振用
電動機
2P-600W,3,450rpm,
200V-60c/s-3φ
(8台搭載)
ツール数 16本
上下昇降用
電動機
なし(油圧シリンダーによる昇降)
伝達機構 油圧コントロールバルブにより左右2個の
油圧シリンダに圧油を送りリンク機構を
介してタイタンパを上下する他、左右締め
固め装置ごとに油圧調整可能
走行装置 走行用
電動機
なし(エンジン直結走行)
伝達機構 エンジンよりいすゞトラック用クラッチ変速機(前4後1)
および逆転機を介してローラチェーンで後車軸駆動
制動装置 前後軸4輪制動
枕木間の
移動
変速機を第1速に入れ2個の油圧シリンダで
クラッチブレーキ連動
走行性能
登板能力
6.9~45km/h
35/1000

鉄道線路(1965)記載の諸元表から抜粋し作成

先述の通りMTT-15D製作中には後継機種で仕様が大幅に変更されたMTT-17の製作が開始されており、MTT-1以来のタイピングユニットが軸距間に装備されたスタイルは本機種が最後の製作例となった。
但し後継機種と並行して製作・販売されていた模様で、登場から7年が経過した昭和44(1969)年時点でも販売を確認できる。4)
折しも名鉄以外の各私鉄も道床搗き固め作業の機械化を開始した時期に販売されていたため、後述する通り私鉄向けに派生形式が多く存在するのも本機種の特徴である。

■参考文献
1)中央鉄道学園三島分教所『保線重機械の構造と取扱』,交友社,(1964)
2)『保線データ・シートNo.8 保線機械その1』,鉄道線路,13巻7号(1965.7)
3)湯本幸丸『写真解説 保線用機械』,交友社,(1967)
4)小田急電鉄株式会社社史編集事務局『小田急五十年史』,小田急電鉄株式会社,(1980)
5)芝浦製作所社史編纂委員会『50年のあゆみ』,芝浦製作所,(1989)
6)春永駒男・小林陽三『保線作業機械化の現状と方向について』,近畿日本鉄道技術研究所技報,2巻1号,(1970.12)
7)森沢雅臣『グラフで見る保線107 マルタイの推移』,新線路,32巻9号(1978.9)
8)尾沢幸三『小田急電鉄における重マルタイ操縦者の養成』,新線路,33巻5号(1979.5)
9)杉下孝治『マルタイの変遷』,新線路,35巻9号,(1981,9)
10)河村猛・出口俊和 『近鉄のマルタイ作業』,新線路,41巻10号,(1987.10)

■脚注
1)芝浦製作所(1989)p65掲載 図表3-4
2)MTT-15Aの国鉄における総両数は杉下(1981)では36台と記述があり、本表の台数と合致しない。後述する杉下(1981)の信憑性から杉下(1981)が誤りである可能性がある他、工事局など施設局以外の国鉄部局への納入があった可能性が考えられるが詳細不明。
3)本表の作成当時はMTT-15Dの導入途中であるため総両数ではない。
4)新線路,23巻1号(1969.1)広告頁掲載の芝浦製作所広告より引用
5)鉄道線路(1965)記載の諸元表による。
6)杉下(1981)では国鉄におけるMTT-15Aの導入数が36台、MTT-15Dが30台と記述があるが、両者合計で66台となり後述の私鉄向けの台数を含めると芝浦製作所(1989)記載のMTT-15の総台数である67台を超えるため矛盾が生じる。また森沢(1978)図-4のグラフには、台数こそ記載がないが15Aがおよそ30台程であるのに対して15Dはその半分程度しかない。加えて杉下(1981)ではMTT-15Dの導入開始年が昭和37(1962)年との明らかな誤記があるため、杉下(1981)はMTT-15Dの導入数と導入開始年を誤記しているものと思われる。
7)自社導入した記録が発見できず国鉄中古機の導入である可能性がある。
8)森沢(1978)図-4
9)リンク先写真では詳細が確認できず、同社にはMTT-15Dと思われる個体の在籍が確認できるため。
10)河村・出口(1987)表3および春永・小林(1970)掲載 第1表による。なお後者はMTT-15Aとしているが誤記と思われる。
11)名取紀之『column 車籍外の車輌について』,寺田裕一『RM LIBRARY 204 新潟交通電車線(下)』,(2016)p31
12)松田務 『腐ってもマルタイ 今、明かされるマルタイのすべて…』,トワイライトゾ~ンMANUAL5,ネコ・パブリッシング(1996)
13)尾沢(1979.5)
14)小田急電鉄社史編集事務局(1980)p448
15)八重柏正英・剱持広隆『小田急電鉄における軌道保守作業の現状と将来構想』,鉄道線路,21巻1号(1973.1)表3によると、当時の小田急はMTT-15を3台所有しているが、これがMTT-15Eのみなのか後述のMTT-15Fを含んだ台数なのか不明であるため。
16)藤原隆郎『特殊勤務体制-帝都高速度交通営団-』,鉄道線路,21巻4号(1973.4)に機種名記載あり。
17)『営団の第一線 軌道区係員(深川)』,地下鉄,265号(1975.5) なお左記文献には日中作業中の本機種の写真も掲載されている。
18)東京都交通局『東京都交通局80年史』(1992)p211-212には、東京都交通局が浅草線用BNRI-85を導入した70年代後半時点において、”地下鉄へのマルタイ導入は、大阪市交通局で1台導入しているほかは例がなく(営団地下鉄では導入していたが地上部のみで使用)”という記述がある。


MTT-15A

(写真:鉄道線路,11巻1号(1963)広告頁掲載の芝浦製作所広告より引用)
製作年:昭和37(1962)~38(1963)年5) 製作台数:36台6)
納入先:国鉄、北陸鉄道7)

MTT-15の始祖であり国鉄へ導入された。国鉄においては昭和50(1975)年には淘汰が完了している。8)
北陸鉄道に除草剤散布用トロに改造された個体が現存する。

 現存する除草剤散布用トロ

 上記の改造前?(MTT-15D説あり)9)


MTT-15C

(写真:『入社おめでとう』,ひかり,27巻2号(1972.5)p31より引用)
製作年:昭和39(1964)年 製作台数:1台10)
納入先:近鉄

天王寺営業局(南大阪線を管轄)へ導入された。10)前年に上本町営業局(大阪線)へ導入されたMTT-55Bと諸元が共通する事10)から、同機種の狭軌線区版として製作されたと考えられるが詳細不明。


MTT-15D

(写真:弘南鉄道所有機 弘南鉄道株式会社『弘南鉄道五十年史』,(1977)p43より引用)
製作年:昭和39(1964)~40(1965)年5)6) 製作台数:30台6)
納入先:国鉄、名鉄、北陸鉄道7)、新潟交通、弘南鉄道7)

国鉄における改良型だが、名鉄等私鉄にも導入例が多数確認できる。国鉄では昭和50(1975)年頃より淘汰が開始されるが8)、この時払い下げられたものと思われる国鉄中古機が新潟交通に1両在籍していた。11)名鉄において平成8(1996)年時点で在籍していた1両が最後の現役個体とされる。12)

 最後の現役個体

 (MTT-15A説あり)9)


MTT-15E

(写真:小田急電鉄(1980)p448より引用)
製作年:昭和38(1963)年13) 14) 製作台数:2台または3台15)
納入先:小田急

小田急電鉄では列車増発に伴う線路の破壊度の増加と作業時間の減少に悩んでおり、この対策として道床搗き固め作業の機械化を行う事となった。導入に際し軌道モータカーのオペレーターから選抜した10名の教育を芝浦製作所で直接行う等、小田急側の熱意を感じ取れる導入であった。
詳細な諸元は不明であるが、右側面に直流発電機が確認できる事から基本的な構造はMTT-15Dに近いと思われる。また運転台が従前のオープンカーから密閉式キャビンに変更されており、同年製作のMTT-55Bおよび翌年製作のMTT-17とも設計思想がリンクすると推測される。
なお昭和54(1979)年時点では1台が現役であり、この他にバラストスイーパーに改造された元15Eが1台、除草剤散布車に改造された元15Fが在籍している。13)

 バラストスイーパーへ改造後


MTT-15F

製作年:不明 製作台数:1台15)
納入先:小田急

先述の通り昭和54(1979)年時点で除草剤散布車に改造された1台が在籍しており13)、MTT-15Eの改良型と思われる。
なお昭和47(1972)年時点で小田急はMTT-15を3台保有している一方で15)、除草剤散布車の保有が確認できないため、除草剤散布車への改造は昭和47~55年の間と思われる。


MTT-15L16)

(写真:『安全輸送の陰に 保守作業の裏方さん』,地下鉄,217号(1971.9)巻頭グラビア頁より引用)
製作年:不明 製作台数:不明
納入先:営団

昭和50(1975)年時点で東西線深川軌道区に配備されており、17)地上区間における道床搗き固めのみに使用されていた模様。18)


MTT-15M

製作年:昭和45(1970)年 製作台数:1台
納入先:同和鉱業

同和鉱業片上鉄道に導入され、同線廃止(平成3年)後に同社小坂鉄道へ転属し同線廃止まで在籍した後、現在は小坂レールパークにて保存されている。MTT-15最後の現役個体にして完全な形で現存する唯一の個体である。
スタイリングはMTT-15Eとよく似た密閉キャブ付きであるが、MTT-21A(昭和43年)で採用されたリモコンが同車にも装備されており、MTT-15の製造期間の長さを象徴する機種といえる。