MTT-17

(写真:MTT-17A。中央鉄道学園三島分教所『保線重機械の構造と取扱』,交友社,(1964)図1-8より引用。)




MTT-17A(上段 岡山局配備)およびMTT-17B(下段 西武鉄道1号機)。屋根形状に違いが見受けられるのがお判りだろうか。なお西武鉄道1号機の次位には「整備車」も確認できる。
上段は片倉穂乃花保有写真、下段は佐藤優『西武鉄道保線機械の変遷』,新線路,71巻6号,(2017.6)写真-1より引用。

■概要
昭和39(1964)年にMTT-17Aが、翌昭和40(1965)年よりMTT-17Aの油圧系統、電気回路、操作装置等を改良した1)MTT-17Bが製作された。MTT-15Aの後継機という位置づけだが、MTT-1~15まで続いた各種性能が大幅に変更および改良されており、主な改良点は下記の通りである。

・タイピングユニット
MTT1~15までは車体中央にタイピングユニットが搭載されていたが、この構造だと前輪が搗き固め前の道床を踏んでしまうので、ハンドタイタンパー等で仮搗きを行ってからマルタイを進行させる必要があった。これの解消のため、本機種ではタイピングユニット搭載位置が車体前方に変更されており、マチサ製マルタイにおけるスタンダードB27への進化と同じ道を辿る事になった。
なおタイピングユニットが車体前方(フロントオーバーハング)搭載となったため、急曲線上であるとタイピングユニットが線路中心から横にずれてしまうが、この対策として、後車軸上に搭載された油圧シリンダーにより、車体ごと横移動させて搗き固め位置の調整ができる様になっている。2)また継ぎ目枕木等の幅が広い枕木周辺でも搗き固めができるよう、油圧シリンダーの摺動によりタイピングユニットの間隔を調整できる機能も追加された。

MTT-17Aにおける後車軸の断面図。車軸上に搭載された油圧シリンダーの摺動により車体の横移動を可能としている。鉄道線路(1965)図1-1-4より引用。

・車体形状
昭和38(1963)年登場のMTT-15EおよびMTT-55Bより、キャブが従前のオープンカーから密閉式に変更された機種が出始めたが、本機種においても採用され、国鉄向け機種としては初採用となった。車内における各装置搭載位置は下記の通りである。

MTT-17Aの車内見取り図。鉄道線路(1965)図1-1-5より引用。
なお車体についてもMTT-17Aおよび17Bでは差異がある模様で、17Aのほうが屋根が扁平である識別点とする事ができる。

・動力系統
15Aと同じく原動機で交流発電機を駆動させタイピングユニットの動力源とし、走行は原動機から直接駆動とする方式である。但し本機種では直流発電機が廃止され、一方で発電機容量が従前の25Kwから30Kwに増強されており、タイピングユニットの出力も従前の0.6Kwから1.5Kwへ向上されている。また、タイピングユニット搭載位置変更に伴い配置が下記の通りに変更されている。

MTT-17Aの動力系統図。鉄道線路(1965)図1-1-1より引用。
なお作業走行はMTT-15Dと同じく油圧モーター駆動であるが、MTT-17Aのほうが登場時期が若干早く、本機種において初採用された機能といえる。3)

・離線装置
離線用レールおよびジャッキを用いて待避を行う点は従前と同じだが、MTT-4以来久々に待避用電動機の搭載が復活し、離線用車輪の自走による待避を可能としている。

諸元については下記の通りである。

MTT-17A
全長×全幅×全高 7.2m×2.2m×2.7m
総重量 13,000kg
原動機 型式 いすゞDA120P
ディーゼル
定格出力 76.5ps/1,800rpm
3相交流
発電機
20KVA-3φ-220V
-60c/s-4P-1,800rpm
油圧装置 油圧ポンプ
駆動用
電動機
無し(原動機より出力)
油圧ポンプ 低圧用:58L/min
高圧用:93L/min
常用圧力 低圧用:70kg/cm2
高圧用:105kg/cm2
タイピング
装置
起振用
電動機
1500W-3φ-200V
-60c/s-2P-3,400rpm
(8台搭載)
ツール数 16本
上下昇降用
電動機
無し
伝達機構 油圧コントロールバルブ
により左右2個の油圧
シリンダに圧油を送り
リンク機構を介して
タイタンパを上下する
ほか左右締固め装置
ごとに油圧調整可能
さらに油圧シリンダーで
タンピングバーの間隔を
拡大することができる
走行装置 走行用
電動機
無し(エンジン駆動)
伝達機構 いすゞトラック用クラッチ
変速機(前4後1段変速)
および逆転機を介して
ローラチェーンで
後車軸駆動
制動装置 4輪制動
枕木間の
移動
油圧モータより減速機変速機PTO逆転機
前車軸駆動
走行性能 6.9~45km/h 35/1000

鉄道線路(1965)表1記載から抜粋し作成。

■導入後の変遷

東武鉄道社史編纂室『RAILWAY100 東武鉄道が育んだ一世紀の軌跡』,東武鉄道株式会社,(1999)p152に掲載されているMTT-17Bの講習会風景。撮影場所不明だが右側に8000系らしき電車が見えるので東武線内撮影である事は間違いない。
本機種は国鉄以外には西武鉄道および名古屋鉄道への導入が確認されており、後述する通り東武鉄道や日本鉄道建設公団への導入も行われた可能性がある。
なお、株式会社芝浦製作所(1989)p65 図表3-4によると本機種の総両数は76両であるが、国鉄への導入分だけでもこの両数を越えてしまうため正確な総両数は不明である。

・国鉄

斎藤論・斎藤三男三・秋山治郎『貸与機械の現状と運用管理』,東工,22巻2号,(1971.3)写真-4より引用。
杉下孝治『マルタイの変遷』,新線路,35巻9号,(1981,9)によると、昭和39(1964)年度にMTT-17Aが4両、昭和40(1965)~42(1967)年度にMTT-17Bが75両導入されているが、これは施設局保有分のみで、東京第一工事局導入分を含んでいない可能性があり正確な総両数は不明である。東京第一工事局においては昭和41(1967)年度にマルタイ2両の導入が確認でき4)、製造時期から考えてMTT-17Bと考えるのが妥当である。
なおオレンジ色に塗装されたMTT-17Bの写真が確認されており、同色は東京第一工事局が自局保有機械に採用していたが、後年発足する日本鉄道建設公団も採用しているため、先述の個体は同団保有の個体であった可能性がある。

本機種導入途上である昭和41(1966)年3月31日現在の施設局における配備先は下記の通り。

財産番号 取得日 所属局 財産番号 取得日 所属局
931 1966/2/10 旭川 6859 1965/9/20 静岡
1165 1966/1/5 札幌 7211 1966/1/20 名古屋
2006 1965/12/18 盛岡 7808 1965/3/30 金沢
2007 1966/3/16 盛岡 7809 1965/5/5 金沢
2910 1965/11/30 秋田 8330 1966/2/28 大阪
3134 1965/12/25 仙台 9902 1965/12/22 米子
3135 1966/3/31 仙台 10006 1964/3/31 岡山
3507 1966/2/20 新潟 10007 19643/31 岡山
3508 1966/3/7 新潟 10008 1965/3/30 岡山
4451 1964/3/31 高崎 10606 1965/3/31 四国
4452 1965/3/31 高崎 10607 1966/2/11 四国
4453 1966/3/29 高崎 10608 1966/3/25 四国
5073 1966/2/7 千葉 11206 1966/2/21 中国
5528 1964/3/31 東京 11658 1965/9/30 門司
5533 1966/3/31 東京 11659 1966/3/31 門司

日本国有鉄道施設局保線課『保線用機械一覧表』,(1966)より引用。(太字はMTT-17A、太字無しはMTT-17B。)
施設局保有分は昭和51(1976)年頃より淘汰が開始され5)、JR各社へ継承された個体は確認されていない。

・西武

西武鉄道のMTT-17B稼働風景 『安全輸送 線路を守る人々』,西武ニュース,289号,(1967.5)より引用。
自社初のマルタイとしてMTT-17Bを昭和41(1966)年5月および翌年6月に導入し、1号機および2号機と命名している。6)昭和44(1969)年時点では、「整備車」と命名された専用のトロを牽引し現場まで向かう独特の方式で稼働させていた。6)同社はその後もMTT-25を3両導入しているが、MTT-25の2両目が導入された後の昭和48(1973)年時点で17Bの内1両が予備車となっていた。7)MTT-25が出揃った後の昭和51(1976)年時点で17Bの保有は1両のみとなり8)、電マルの後継としてB-242が導入された後の昭和54(1979)では既に保有していないため9)、昭和51(1976)~54(1979)の間に全廃されたものと思われる。

・名鉄
総両数不明であるが、MTT-17Bと思われる1両を平成7(1995)年頃まで保有しており10)、この個体が本機種最後の現役個体であった。

・東武
東武鉄道におけるマルタイ導入例は、昭和37(1962)年8月に芝浦製1両を東上線へ導入して以降11)、昭和46(1971)年にBNRI85を導入するまで確認されていないが、上記の通り東武線内でMTT-17Bの講習会を行っている写真が存在する。恐らくメーカー保有のデモンストレーション機を貸与しただけと考えられるが詳細不明。

■参考文献
1)『新しい電気式マルタイ保線作業に活躍』,交通技術,19巻2号(1964.2)
2)『保線データ・シートNo.8 保線機械その1』,鉄道線路,13巻7号(1965.7)
3)『保線データ・シートNo.8 保線機械その2』,鉄道線路,13巻10号(1965.10)
4)芝浦製作所社史編纂委員会『50年のあゆみ』,芝浦製作所,(1989)

■脚注
1)杉下孝治『マルタイの変遷』,新線路,35巻9号,(1981,9)
2)詳細な構造は不明だがマチサ・B27も車体ごと横移動する形でタイピング位置の調整ができる。
3)湯本幸丸『写真解説 保線用機械』,交友社,(1967)によると、国鉄における初回購入時期はMTT-15Dが昭和39(1964)年7月なのに対し、MTT-17Aは4か月早い昭和39(1964)年3月である。
4)斎藤論・斎藤三男三・秋山治郎『貸与機械の現状と運用管理』,東工,22巻2号,(1971.3)表-2
5)森沢雅臣『グラフで見る保線107 マルタイの推移』,新線路,32巻9号(1978.9)
6)大沢白水・本多三郎『西武鉄道における保線作業の機械化』,鉄道線路,17巻8号(1969.8)
同文献によると、当初は燃料や修理機材をトラックで輸送していたが、これの解消のため燃料と修理機材を積んだ「整備車」を用意することになり、関西鉄道工業で2両が製作されている。
7)大沢白水『保線機械化と軌道強化』,鉄道線路,21巻7号(1973.7)
8)大沢白水・小山宗次『マルタイオペレータの技術教育について』,鉄道線路,24巻7号(1976.7)
9)大沢白水・田中治郎『マチサ・マルタイ B-242について』,鉄道線路,27巻10号(1979.10)
10)松田務 『腐ってもマルタイ 今、明かされるマルタイのすべて…』,トワイライトゾ~ンMANUAL5,ネコ・パブリッシング(1996)
11)東武鉄道年史編纂事務局『東武鉄道六十五年史』,東武鉄道株式会社,(1964)p174およびp1012
なお原文であると「東芝製」と記載があるが芝浦製の誤記と思われる。