63_除雪装置付貨車移動機


 

■概要

貨車移動機に除雪装置を付けて、入換作業と除雪作業の兼用を図った国鉄の機械。文献によって「除雪装置付貨車移動機」「除雪機付貨車移動機」などの表記ゆれが見られるが、国鉄における1978(昭和53)年以降の正式名称は「除雪機付入換動車」である1)

大きく分けて、スノープロウを用いたラッセル式と、ロータリー除雪装置を用いたロータリー式の2種類が存在する。おおむねラッセル式は北海道から東北を中心に、ロータリー式は新潟から北陸を中心に配置されていた。

 

■開発の経緯

1960(昭和35)年末から1961(昭和36)年初にかけて、北陸・新潟地方は豪雪に見舞われ、年末年始の鉄道輸送は大混乱に陥った(36豪雪)。これを受けて国鉄は雪害対策専門部会を設置し、DD14・DD15・モータカーロータリーなどの様々な除雪装備の新製や改良と実地試験を開始した。除雪機付貨車移動機もこの一連の研究の中で開発・製造され、1962(昭和37)年1~2月に初試験が行われた2)

普段は駅構内で貨車を入換するのに使用し、積雪時には構内除雪を担うことを目的とされたが、支線区では駅間の本線上を除雪することも想定されており、本線上ではモータカー扱いで除雪作業ができるという規定が存在した3)。1960年代初頭において、モータカーラッセルは登場したばかりでまだ数が少なく、モータカーロータリーは開発途上の段階にあった。そのため、貨車移動機に除雪装置を付けて配備することで、除雪用保守用車の不足分を補うことを期待されていたと推測される。

しかし、次第に専用の除雪機械が十分に配備されるようになり、また国鉄貨物輸送の大幅な整理・縮小に伴って貨車移動機の必要性自体が低下し、1980年代以降に新製されることは無くなった。現在は、国鉄時代に製造された個体が少数使われているのみであり、また保存機がいくつか残されている。

貨車移動機は保守用車ではないため本来は当DBの掲載対象外である。しかし除雪装置付貨車移動機は除雪用途に使われる機械であり、上記のように保守用車扱いで使用できる規定も存在したことから、当DBでは保守用車に近しい存在として例外的に掲載する。

 

■ラッセル式貨車移動機


美深駅で修繕中のV形プラウ型
(小松重次氏提供)


丸瀬布駅で撮影された片寄せ形プラウ型
(小松重次氏提供)

ラッセル式は貨車移動機に折り畳み式スノープラウを装備したものである。1962(昭和37)年ごろ、初めにV形プラウ型が配備され、1963(昭和38)年ごろには片寄せ形プラウ型が配備された4)。メーカーは佐藤工業(現・佐藤鉄工)と協三工業の2社が確認されている。

 


キャブが半分欠けたような形状から”半キャブ”とも呼ばれるF形10t貨車移動機

ベースとなったのはF形10t貨車移動機で、これに可動式のプラウを取り付けるため、隅を斜めに削ったような台枠形状をしている。V形・片寄せ形ともに、通常の10t移動機よりも連結器が前方へ飛び出した構造であるが、これはプラウを取り外さなくても他車と連結可能にするための工夫であった。

 


他車と連結した状態。台枠と連結器の間にスペーサーが挿入されており、スノープラウが連結器と干渉していないことが分かる

初期に生産されたものはロッド連動式駆動のものが存在したが、後年は歯車連動式2軸駆動へと移り変わった。V形プラウは初期に少数が生産されたのみで、その後は片寄せ形プラウが主流となった。また初期には駅間除雪を考慮して40km/h走行が可能な2段変速のトルクコンバータを装備していたが、除雪用モータカーの充足に伴って高速走行機能が不要となり、1970年代後半の生産車では構内専用として通常のF形10t機と同じ1段変速のトルコンに変更された模様である5)

 


五稜郭車両所で使われているラッセル式移動機
入間郡氏投稿記事より)


足尾駅の協三製V形プラウ型保存車。廃車後に協三工業が下取りし、再整備の上で古河鉱業へ販売されたため、除雪装置を喪失している

現在、鉄道事業者が使用しているラッセル式移動機は、JR北海道・五稜郭車両所の1台のみとなっている。現存するその他の個体は全て保存車であり、そのうちトロッコ王国美深道の駅あびらD51ステーションの各1台は動態保存機である。また、静態保存機のうち佐藤製の片寄せ形協三製のV形が各1台ずつ存在する。

 

■ロータリー式貨車移動機

ロータリー式貨車移動機は積雪量の多い地域向けに開発された。メーカーはラッセル式と同じく佐藤工業と協三工業が確認されている。


最初に造られたロータリー除雪移動機
前部に連結されているのが非自走型の除雪車である6)

移動機にプラウを取り付けただけのラッセル式とは異なり、こちらは当初、車体にロータリー除雪機と除雪機用エンジンのみを搭載し、自走はできず、通常の貨車移動機に推進させることを前提にした構造という、いわば「車輪付きアタッチメント」として1962(昭和37)年に登場した7)

 


自走化改造されたロータリー除雪移動機。外見はあまり変化がない8)

しかし、冬季以外は使い道がない車両ができてしまうという非効率さが判明したためか、翌1963(昭和38)年、既存のアタッチメント車を自走可能にする改造が国鉄浜松工場にて行われた。この際、1台のエンジンで走行・除雪が両立できるように、油圧モータ駆動が採用された。また冬季以外は除雪装置を取り外して連結器を取り付け、入換作業時に前後両側で貨車を牽引できる構造に改められた9)

 


新潟製ロータリー装置に角屋根の組み合わせとなった、ロータリー式移動機の最終型
北陸鉄道DL71

若桜鉄道の製番A10106による除雪作業の映像。シュート投雪からブロア投雪へ切り替える様子が見て取れる
(撮影:新芝ミコフ)

その後、上記の自走化改造車とほぼ同じ構造を採用した新製車が造られるようになり、キャブの拡大、足回りのアウトサイドフレーム化、屋根形状の変更などの改良を加えながら、1980年代まで生産が続けられた。ロータリー除雪装置は当初、2本のスクリューコンベアを用いた三菱重工製を使用していたが、1964(昭和39)年ごろからは、スクリューとレーキを1本の軸にまとめた新潟鉄工製除雪装置の使用が確認できる。また車体下部には、モータカーと同様に転車装置が備えられている。なお、駅間除雪のために40km/hでの走行も可能であったが、ラッセル形と同様の理由でこの機能は後年廃止されている10)

ロータリー式移動機は現役機が比較的多く、JR貨物・北陸鉄道・若桜鉄道で使用されている。また動態保存機も2台存在する。ただし、その全てが協三製であり、佐藤製は現存しない模様である。

 

■国鉄貨車移動機の形式と製番について


保守用車の銘板の例

MCDBで取り扱う保守用車は、車外に製造者・製造年・メーカー形式・製番などが刻印された、建機や自動車に近い形式の銘板が付けられているのがほとんどである。これは、戦前から保守用車が鉄道車両というよりも、建機や自動車などに近い分野・業界で開発され発展してきたという歴史的背景があるためと考えられる。建機や自動車(特に自家用車以外のもの)には伝統的にこういった形式の銘板が取り付けられており、保守用車もその文脈の延長線上にある存在といえる。

さらに、TMC100型以降の国鉄における保守用車は「富士重工の軌道モータカー」「新潟鉄工のモータカーロータリー」「日熊工機の枕木更換機」といった例のように、基本的には特定の企業が開発・製造・販売したものをそのまま導入するのが通例であり、私鉄についてもおおむね同じ状況であった。そのため、銘板の情報から「TMC200C」「MCR-4A」「KHR-106A」といったメーカー形式で分類し、製番で整理することで、仕様や製造数を把握することが可能であり、ひいては銘板情報を元にしたMCDBというデータベースが成立する要因となったと言える。

 


除雪装置付貨車移動機の車外銘板(左)と機械番号表記(右)の例

ところが、除雪用を含む貨車移動機の車外にある銘板は、製造メーカーと製造年だけが記された、一般的な鉄道車両の規格に類似したものである。貨車移動機は保守用車と同じく”車両”には該当しない機械である。しかし、施設局保線課と保線区が担当する保守用車とは違い、貨車移動機は工作局機械課が開発し駅へと配備される存在であり、この形態の銘板は同じ工作局が管轄する一般の鉄道車両のスタイルを適応させたものと思われる。製造メーカーが独自に付けた銘板は車内にあり、メーカー形式や製番はそこに刻印されていることが多い。

 


除雪装置付貨車移動機の車内銘板の例(左:佐藤製、右:協三製)

しかし、メーカー形式や製番が分かっても、必ずしも役に立つとは限らない。貨車移動機は工作局機械課の設計に基づいて、多数のメーカーや国鉄工場が個別に製造を手掛けていたため、同じ車種でもメーカー形式や製番は各社が独自に付けていた。例えばラッセル式移動機の場合、形式名は佐藤製が「10TON貨車移動機」、協三製が「DB-10」(一部)となっていた。またメーカー形式自体が車内銘板に記されていない例も多く、場合によっては最初から車内銘板自体が無いこともあった。一応、文献上は国鉄内における形式名(例えばラッセル式ならFP1形~、ロータリー式ならFR1形~)が存在することが明らかとなっているが11)、それぞれの形式がどのような仕様や理由で区別されているのかは明らかにされておらず、車体にも一切表記されていない。そのため、現車を見て国鉄での形式と結びつける方法が今のところ存在しない。

さらに、資産管理コード(国鉄機械番号)もあくまで管理局内限定の番号であり、かつ各管理局を示す一番上の2桁は省略される場合が多いため、資料として用いるには注意が必要である。複数の局の貨車移動機同士で番号被りが起きることもあるし、移動機が資産管理コードの変更を経験していた場合も、その履歴を現車から必ず読み取れるとは限らない。以上のことから、資産管理コードも各個体を把握するのには大まかな目安にしかならない。

つまり、除雪装置付貨車移動機は現車と銘板や機番のデータを用いて全体像を把握することが困難な存在であると言える。

当DBでは除雪装置付貨車移動機のカテゴリにおいて、便宜的にメーカー形式を登録時命名規則の『型番』として扱う。

 

■脚注

1)日本国有鉄道「JRS74021-2F-15AR8M 除雪機付入換動車(ラッセル式)」日本国有鉄道,1978年制定.
2)奥村 実「国鉄の除雪関係諸実験」『雪氷』24巻2号,1962年,pp.6-16.
3)鉄道日本社「除雪機付貨車移動機」『施設教育』18巻4号,1965年,p.55.
4)交通協力会「除雪装置付貨車移動機登場」『交通技術』17巻2号,1962年,p.28.交通協力会「除雪装置付貨車移動機登場」『交通技術』18巻3号,1963年,p.36.ただし佐藤工業製の片寄せ形には1961(昭和36)年製の個体が確認されており,登場時期については議論が残る.
5)日本国有鉄道,1978年,前掲1.
6)浜松工場「除雪ロータリ取り付け車の自走化と油圧駆動方式の採用」『鉄道工場』14巻12号,1963年,写真p.
7)交通協力会,1962年,前掲4.
8)浜松工場,1963年,前掲6.
9)浜松工場,1963年,前掲6.
10)日本国有鉄道「JRS74021-3C-15AR1M 除雪機付入換動車(ロータリー式)」,1981年制定.
11)例えば、鉄道日本社,1965年,前掲3や、朝日新聞社『世界の鉄道:1970年版』朝日新聞社,1969年などで一部を窺い知ることができる.