22_貨車加減速装置積卸機

 


 

操車場内でリニアモーター方式貨車加減速装置を積み降ろすための機械である。

 

■自動化ヤードとL4形貨車加減速装置

1980年代までの鉄道貨物輸送は「ヤード系」と呼ばれる方式が半数以上を占めていた。これは、貨車を駅で貨物列車に1両単位で増結して操車場(ヤード)に集め、そこで列車を解結して行先別に組み直し、再び次の操車場へ向かい、列車を組み直し…という行程を繰り返しながら最終的に目的地へと貨車を送る、というシステムであった。操車場ではハンプから貨車を転がすか、突放することによって貨車を転走させ、方向別の仕訳線へと貨車を送っていた。安全な速度で他の貨車を連結させていくには、自走していく貨車に係員が飛び乗ってブレーキを掛けていたが、これは大変危険な作業であり、死傷事故が絶えなかった。また、人力による貨物列車の分解組成作業は膨大な時間がかかり、鉄道貨物がトラック輸送に対して非常に時間がかかる原因となっていた。

この問題を解決するため、国鉄では1960年代より多種多様な新技術による操車場の自動化を進めており、L4形リニアモーター方式貨車加減速装置(L4カー)もその技術の一つであった1)。これは、ハンプから転走してきた貨車をリニアモーター駆動の加減速装置が自動でキャッチし、適切な速度に調整しながら、先に仕訳線で停車している貨車へと安全に連結させる、というものである。方向別仕訳線の軌間内には専用の走行路が設けられており、そこに平面状のL4が収まっていた。L4はディスタンスカー(貨車検出)・モータカー(動力)・コントロールカー(制御器)・ブレーキカー(制動)・プッシャカー(貨車捕捉)の計5台で構成され、全長は約20mである。製造は日立製作所が担当した2)

 

塩浜操車場に納入されたL4概要図3)

 

塩浜操車場で稼働中のL4
(日本国有鉄道広報部編『R』16巻11号,1974年,p.10より)

 

■貨車加減速装置積卸機の登場

L4は定期検修や故障の際、走行路から取り外して操車場内の整備場へ輸送する必要があるが、当初は1台ずつ分解してクレーンで貨車などに積載して運んでいた。しかし、クレーンによる作業は営業線を長時間に渡り閉鎖する必要があった。このため、L4を分解せずに迅速な積み卸し可能な装置を備えた専用輸送機械が開発された4)。それが貨車加減速装置積卸機である(詳細な構造は下記リンク先のメーカー別ページを参照のこと)。

貨車加減速装置積卸機概要図5)

今のところ存在が確認されている貨車加減速装置積卸機は、リニア式自動化ヤードが導入された新南陽駅の1台のみである。しかし、他にリニア式で自動化された塩浜操車場(現・川崎貨物駅)や北上操車場、L4の長期試験が行われた富山操車場にも積卸機が存在した可能性がある。国鉄におけるヤード系貨物輸送は不採算を理由として1984年から1986年にかけて一斉に廃止となり、以降はヤードを経由しない直行系輸送に一本化され、ほとんどの操車場は用途を失い廃止となった。しかし新南陽駅は特例としてその後も1996年までヤード機能の使用が続けられたため、積卸機最後の1台もその頃まで使用されていたと思われる。しかし最末期においても記録は僅かな例が存在するのみであり、積卸機の全貌を明らかにするためにも、新たな記録と資料の発掘が求められている。

なお、国鉄には他にもL4の輸送用に改造製作されたヤ250形貨車が2両存在したが、こちらは車籍のある車両であり、保守用車には分類されない。また、貨車加減速装置積卸機と同様の専用積卸装置は装備しておらず、小型クレーンが付いているのみであった。

 

■脚注

1)鉄道施設技術発達史編纂委員会編『鉄道施設技術発達史』日本鉄道施設協会,1994年.
2)高山 雅幸・山路 正弘・池田 紘宇・稲垣 晴夫・高橋 宏・村田 博「日本国有鉄道塩浜操車場納めリニアモータ方式L4形貨車加減速装置」『日立評論』57巻6号,1975年,pp.71-76.
3)前掲2.
4)日本国有鉄道「貨車加減速装置の運搬装置」実全昭52-088810,1976年.
5)前掲4.