目黒工業の道床交換作業車

写真:MMK-85SB(JR西日本のBS-113-E

 


 

目黒工業株式会社は、かつて道床交換作業車を製造していたメーカーである。

 

■概要

目黒製の無閉鎖式バラストクリーナー
線路下に挿入して使用する。作業中も線路閉鎖が不要で、速度制限をすれば営業列車が走行できるという利点があり、国内では無閉鎖式の開発が閉鎖式に先行していた。
『鉄道線路』9巻9号,1961年,広告pより

1933年、大阪鉄道管理局近くで踏切遮断機の専門メーカーとして設立された目黒工業所をルーツとする。主に踏切や信号関係の機器を製作していたが、1957年に国鉄と共同で無閉鎖式(設置式)バラストクリーナーを開発したことを機に、保線機械の製造も手掛けるようになった1)

 

最初期の目黒製閉鎖式バラストクリーナー
この時点で既に本体と電源車の2両1組構成となっていた。
『鉄道線路』13巻11号,1965年,広告pより

1964年には閉鎖式(オンレール式)バラストクリーナーを開発し、当初は大手私鉄で利用が広まった。基本的な形態や構造はこの時点で完成していたが、年々改良が加えられていき、1974年には西武鉄道と共同で単線区間での使用が可能な機種を開発している2)。また国鉄では1975年に初めて目黒製の道床交換作業車を導入し、在来線(阪和線鳳保線区)で使用した3)。新幹線においては1968年に導入されたPlasser & Theurer製RM 62が騒音問題で長く活用できず、道床交換作業は人力に逆戻りしていたが、1970年代後半から目黒製作業車が多数配置され、ようやく道床交換作業の機械化が達成された4)

 

JR西日本のBS-113-E
右が作業車本体、左が電源車である。

その後、1990年代までに目黒工業の作業車は多数が製造され、国鉄・JRと大手私鉄各社で広く採用されたが、これは外国メーカー製の作業車に比して低価格かつ低騒音であり、日本の鉄道の作業環境に適していたことが理由と思われる5)。しかし、2000年代に入ると作例が見られなくなり、目黒工業は保守用車の製造から撤退した模様である。2022年時点では、JR西日本が山陽新幹線に保有する個体が目黒製作業車最後の1台となっていた。

 

■構造

標準的な目黒製バラスト作業車(篩い分け装置なし)の構成
内田 雅夫「バラスト作業車による道床更換作業」『新線路』33巻6号,1979年,pp.50-52より

標準的な目黒製バラストクリーナー(篩い分け装置あり)の構成
市川 公洋「道床交換:ふるい分け機能付きバラスト作業車」『日本鉄道施設協会誌』27巻11号,1989年,pp.23-25より

目黒製の道床交換作業車は事業者や個体ごとに様々な形態があるが、基本的な構造はおおむね共通しており、多くは作業車本体と電源車の2両1組構成である。機能面では篩い分け装置を持ち、再使用可能なバラストを選別可能な機種(バラストクリーナー)と、装置を持たない機種(バラスト作業車)の両方が用意されていた。なお単線式道床交換対応機は、電源車の上部にもベルトコンベアを搭載している。

 

スクレイパーチェーンをレール下へ通した様子(国鉄時代のBS-102-S
これは保守基地内の整備用施設での撮影で、バラストが囲われている

 

標準的な目黒製道床交換作業車の作業方式
日本鉄道施設協会「メーカー紹介:目黒工業株式会社」『鉄道線路』24巻2号,1976年,pp.43-44より

作業方式は上図の通りである。作業時はマクラギ下を通るようにスクレイパーチェーンを組み立て、前方のレールに固定したワイヤーを巻き取ることで前進し、バラストを掻き出して貨車やトロ、軌道外へ排出する。回送時は別途モータカーが必要となる6)

 

■導入事業者と各個体

目黒製の道床交換作業車は、機能や形態が明らかに異なる場合でも同じ形式である場合や、本体と電源車で同じ形式/違う形式の場合が混在しており、形式名で整理して俯瞰することが難しい。このため導入事業者別に紹介する。

 

・国鉄/JR

阪和線鳳保線区に導入された目黒製作業車
『鉄道線路』23巻7号,1975年,グラフpより

在来線では先述の通り、1975年に阪和線鳳保線区で1台が試験的に導入された。その後、新幹線において1977年から本格的な導入が始まり、国鉄末期には計13台が使用されていた。さらに民営化後のJR東海が2台を導入し、旧型車を置き換えている7)

またJR東日本においては、1990年から始まった山形新幹線改軌工事にて特殊構造のバラスト作業車が2台使用された8)

 

 

・西武鉄道

西武のバラストクリーナー1号
『鉄道線路』16巻1号,1968年,p.広告2より

最も初期に、そして私鉄の中では通算で最も多くの目黒製作業車を導入した事業者が西武鉄道である。先述の通り、単線式道床交換対応機の共同開発も行っており、目黒工業へ与えた影響は大きかったものと思われる。

歴代で保有した目黒製作業車は以下の7台である。なお電源車は必ずしも作業車本体とペアで新造されてはおらず、旧型から引き継ついで使用された個体も存在したようである9)

 

西武鉄道で使用された目黒製バラストクリーナーの一覧10)

機番 導入年月 廃車年月
1号 1967年11月 1973年12月
2号 1971年10月 1978年8月
3号 1973年10月 1980年11月
5号 1978年7月 1987年2月
6号 1980年11月 1992年5月
7号 1987年3月 (不明・2000年以降)
8号 1992年3月 (不明・2000年以降)

 

この後、目黒製作業車の置き換え用として導入されたバラストクリーナー9号・10号は保線機器整備によって製造されたが、これらは目黒製作業車の技術が引き継がれたものであるという11)

 

・小田急電鉄

小田急のバラストクリーナー(3台目)
和賀 慎一「業務資料「軌道工事の施工方法」34:道床交換2 機械」『日本鉄道施設協会』60巻10号,2022年,pp.68-71より

歴代で3台が確認されている。1台目は1972年の導入で、形態は当時の標準的な目黒製作業車と同じと思われる12)。また2台目は1981年に、3台目(MKK-NCWP)は1990年に導入され、それぞれ先代を置き換えている。これらは作業車本体にキャビンが搭載されており、特に3台目は他の小田急の保守用車と共通様式の、前傾した前面窓を持つキャビンが特徴的であった。本機は2000年に全線の道床交換が完了すると、老朽化を理由に廃車となった13)

 

・東急電鉄

東急のMKK-NCWP(BC2302)

歴代で3台が確認されている。1台目は1973年の導入で形態は不明14)。2台目は1983年15)、3代目は1986年16)の導入で、形式はMKK-NCWPである。これらは篩い分け装置を持たないバラスト作業車で、小田急のものと同じく本体側にキャビンを搭載している。1990年代後半まで存在していたことが確認されているが、後年はトロに積載したバックホウによる作業が主流となり、バラスト作業車はあまり使われていなかったという17)

 

 

・京浜急行電鉄

京急のバラストクリーナー(1台目)
『鉄道線路』18巻12号,1970年,p.広告1より

西武の次に早くから目黒製作業車を導入した事業者であり、歴代で4台以上が確認されている。1台目は1969年の導入で自重12t、作業速度25m/h、作業能力60m^3/hであり、外観は目黒製作業車の基本形態と言えるものであった。また2台目は1971年の導入で自重13tであった18)。さらに3台目が1977年に導入されており、1992年時点ではこの1台のみの保有となっていたが、1998年時点では2台に増加しているため19)、この間に4代目の増備があったと推測される。

 

・近畿日本鉄道

近鉄は複数メーカーの道床交換作業車を保有したが、そのうち目黒製は4台であった。これらは篩い分け装置を持ち、また単線式道床交換に対応したバラストクリーナーで、1973(昭和48)年から順次導入された。近鉄では大型のMATISA製作業車を複線区間に使用し、小型の目黒製は単線区間や、踏切・橋梁が多く1回の施工延長が短くなる区間に用いるという使い分けがなされていた20)。他社では目黒製作業車は10年程度で更新される場合が多いが、近鉄ではこの4台が1990年代後半でも現役だったようである21)

 

・京阪電鉄

昭和40年代前半から1990年代にかけて少なくとも1台を保有していたようである22)

 

・南海電鉄

南海では1960年代から日本車両製の道床交換作業車を使用していたが、1972・1973年に各1台ずつ計2台の目黒製作業車を導入している23)

 

・山陽電鉄

1970年代から1990年代にかけて目黒製作業車を保有していたようだが、形式は71SとMKK-SBCの2種が記録されているため、それぞれ1台ずつの計2台が存在したと思われる24)

 

■文献

1)日本鉄道施設協会「メーカー紹介:目黒工業株式会社」『鉄道線路』24巻2号,1976年,pp.43-44.

2)日本鉄道施設協会,前掲1.

3)石原 一比古「新しく開発された道床作業用機械」『新線路』29巻5号,1975年,グラフp.

4)石井 八郎「バラスト作業車による道床更換作業」『新線路』34巻12号,1980年,pp.34-37.

5)目黒工業によるバラストクリーナーの広告では、価格が外国製品の1/4-1/5であること(参考として国鉄が輸入したRM 62は1968年当時で9385万円であった。日本国有鉄道『鉄道統計年報:昭和43年度第6編』,1969年,日本国有鉄道.)や、騒音が周囲5m付近で80ホン以下であることが利点として謳われている。

6)松田 務「バラクリ3年…:今年は「バラスト=クリーナー」」『トワイライトゾ〜ンMANUAL』6号,1997年,pp.182-193.

7)これらの出典についてはバラスト作業車(新幹線用)のページを参照のこと。

8)松田,前掲6.

9)松田,前掲6.

10)田村 一成「バラストクリーナー作業」『新線路』54巻3号,2000年,pp.41-43.西武の保守用車では4を忌み番として飛ばす場合がある。

11)2012年に行われたイベントの展示パネルにて、保線機器整備製の10号機について「共同開発した技術を引き継いだ」という表現が使われている。https://twitter.com/Kojimamo/status/1281133475085484032(2024年1月9日取得).

12)小田急電鉄運輸本部「小田急電鉄の施設・保安の概要」『鉄道ピクトリアル』23巻11号,1973年,pp.99-104.小口 彦七・中込 芳雄「小田急 線路・保線作業の近代化」『鉄道ピクトリアル』32巻臨時増刊号,1982年,pp.73-75.

13)小口・中込,前掲14.高橋 康二「線路と保線」『鉄道ピクトリアル』41巻臨時増刊号,1991年,pp.36-37.松田,前掲6.和賀 慎一「業務資料「軌道工事の施工方法」34:道床交換2 機械」『日本鉄道施設協会』60巻10号,2022年,pp.68-71.

14)河合 徹・雨宮 功「東急の道床路盤改良の一方法」『鉄道線路』30巻12号,1982年,pp.51-54.

15)東急株式会社HP「東急100年史(WEB版) 25.鉄軌道事業 歴代車両」https://www.tokyu.co.jp/history/pdf/tokyu100th_data_25_reki-syaryou.pdf(2024年1月10日取得).

16)松田,前掲6.

17)高橋 英樹「東京急行電鉄 裏方の作業車たち」,「立入厳禁」編集委員会編『立入厳禁』,1999年,pp.70-78.

18)城田 九一・松本 忠男「京浜急行電鉄における軌道の現状」『鉄道線路』21巻12号,1973年,pp.28-32.

19)加藤 栄一「マルチプルタイタンパ作業によるバラストコンパクタ併用作業」『新線路』46巻1号,1992年,pp.47-49.吉津 等「線路施設と保線」『鉄道ピクトリアル』48巻臨時増刊号,1998年,pp.57-59.

20)奥村 正晴「近鉄の保線の機械化」『鉄道ピクトリアル』31巻臨時増刊号,1981年,pp.88-92.小林 陽三「新しい保線機械と道床改良作業システム」『近畿日本鉄道技術研究所技報』7巻1号,1975年,pp.108-121.坂本 成彦・宇治川 高義「近鉄における保線機械の運用について」『鉄道線路』28巻5号,1980年,pp.42-47.

21)松田,前掲6.

22)飯田 敏・池田 忠史「線路と保線作業」『鉄道ピクトリアル』34巻臨時増刊号,1984年,pp.43-45.岩井 利昭・辻 勉「線路と保線」『鉄道ピクトリアル』41巻臨時増刊号,1991年,pp.35-38.

23)塩見 猛「南海電鉄の保線の現状」『鉄道ピクトリアル』29巻臨時増刊号,1979年,pp.124-125.

24)山陽電気鉄道(株)電気部・土木部「電気・線路施設の概要」『鉄道ピクトリアル』40巻臨時増刊号,1990年,pp.23-25.高阪 泰男・山崎 義昭・鷺野 功「電力・信号保安・車両工場・線路および駅施設のあらまし」『鉄道ピクトリアル』26巻臨時増刊号,1976年,pp.18-23.西中 正行「山陽電気鉄道の線路管理について」『鉄道線路』29巻3号,1981年,pp.37-41.