(写真:地鉄のMTT-70Aと稼働風景。後述するレベリング装置追加改造前の姿で、作業員数名でこう上している様子が伺える。 『ズームアップ私達の仕事 保線区(マルタイ支区)』,ちてつ,244号(1975.9)より引用)
MTT-70A(鉄建公団導入機)の全体図。桜沢(1976.8)より引用
■概要
MTT-60の後継機種である。油圧モーターによって走行する点、線路内外を別々にタンピング可能である点、タンピングツールの開閉間隔を調整可能である点はMTT-60と共通する1)が、一方で各部で性能向上が図られており(下記諸元表参照)、車両寸法や重量もMTT-60と比して大型化している。
諸元を下記に示す。
MTT-70A | MTT-60A(参考) | |
タンピング方式 | 振動押し込み式 | 左に同じ |
タンピングツール数 | 16本 | 左に同じ |
ツール振動数 | 3400cpm | 不明 |
起振電動機 | 3相 600w 200v 60hz×8台 | 左に同じ |
ビータ数 | 16本 | 左に同じ |
タンピング時間 | 9秒(枕木1本当たり) | 14秒(枕木1本当たり) |
作業量 | 150~200m/hr | 左に同じ |
走行性能 | 最高30km/h(平坦線) 最高15km/h(25‰) |
油圧モーター単独駆動 最高30km/h(平坦線) 油圧モーター複動駆動 最高15km/h(平坦線) |
ディーゼル機関 | 4気筒水冷式 50ps/1,800rpm |
4気筒水冷式 35ps/2400rpm(いすゞC221) |
交流発電機 | 3相 12.5kVA 220V 60Hz | 左に同じ |
寸法(L×W×H) | 5,342×2,500×2,550(mm) | 4.200×2,100×2,000(mm) |
重量 | 約9,000kg | 約5,000kg |
MTT-70Aの諸元詳細。(参考としてMTT-60Aの諸元も掲げる。60Aと比べて変化があった諸元は太字とした。)なお70Aの諸元は鉄建公団導入機のものである。
70Aの諸元は桜沢(1976.8)表5より、60Aの諸元は鈴木清『名古屋鉄道における小形マルタイ』,鉄道線路,17巻10号(1969.10)本文中より一部抜粋の上、両者で各部表記を統一し引用した。
名古屋鉄道(名鉄)の特注機という要素が強く、名鉄以外では伊豆急行しか導入事例が無かったMTT-60とは異なり、本機種は私鉄および地下鉄事業者数社への導入事例が確認できる。各社における導入経緯を下記の通り説明する。
高松琴平電気鉄道(琴電)
琴電のMTT-170A。琴平線仏生山駅構内に留置中の姿。撮影は平成13(2001)年頃と思われるが、その後数年に渡り同地で放置されていた。 松田務『この機なんの機?』,トワイライトゾ~ンMANUAL10,ネコ・パブリッシング(2001)より引用
昭和46(1971)年9月にMTT-170Aが導入された。1)2)昭和49(1974)年3月には芝浦製と思われるバラストスイーパーが増備され3)、同社における保線作業機械化に貢献した。但し沿線住民から騒音の苦情があり夜間作業できない区間があった等、苦しい環境下での使用を強いられており、後に昼間の列車間合い時間での使用を目論み横取り装置を追加改造している。1)
松田(1996)発表の時点で既に使用されておらず、00年代中盤頃まで琴平線仏生山駅構内で残存していたが、その後廃棄された模様である。
帝都高速度交通営団(営団)
導入直後の撮影と思われる営団のMTT-70A
『仕事を追う⑤ 線路を守る保線区の巻』,地下鉄,221号,(1972.1)より引用
昭和46(1971)年末頃4)に千代田線の地上区間(綾瀬駅周辺)用として綾瀬保線区にMTT-70Aが導入された。当時の営団では自社線地上区間用としてマルタイの導入を行っており、導入時期不明だが東西線地上区間(東陽町~西船橋)にもMTT-15Lが導入されている。5)
富山地方鉄道(地鉄)
レベリング装置追加改造後の地鉄導入機。写真左にレベリング装置が確認できる。
『マルタイ、オート化 一層の作業能率化を図る』,ちてつ,276号(1978.5)より引用
保線作業の合理化を目的とし6)、昭和48(1973)年2月にMTT-70Aが導入された。7)同時に芝浦製と思われるバラストスイーパーも導入されている。6)自社初のマルタイであったためか、前年8月から導入月まで自社労働組合との交渉が長期間続けられ、最終的に5名の人員削減で妥結した上での導入であった。8)
地鉄導入機の全体図(レベリング装置追加改造後)と先導車の写真。芝浦製作所では昭和50(1975)年登場のMTT-35よりワイヤー式レベリング装置を実用化しており、本機種もその応用と思われる。
『マルタイ、オート化 一層の作業能率化を図る』,ちてつ,276号(1978.5)より引用
地鉄導入機の特徴として、他事業者にはない密閉式キャビンを採用している点と、昭和53(1978)年4月にレベリング装置が追加改造された点が挙げられる。従前はオペレーター、指揮者各1名とジャッキ作業者4名の6名体制でマルタイを運用していたが、ジャッキ作業者4名の削減を狙ったものであった。レベリング装置は先導車~本体間のレベルをワイヤーで測定するワイヤー式である。9)なお労働組合との交渉の結果人員削減数は1名に留まった模様である。10)
日本鉄道建設公団(鉄建公団)
鉄建公団導入機。撮影は芝浦製作所大船工場の試走線と思われる。桜沢(1976.8)写真5より引用。
昭和50(1975)年にMTT-70Aが導入され、丸森線丸森~福島間建設工事11)に投入されている。
新線建設時に短区間かつ非連続で道床搗き固め作業を行う場合があり、総搗きがメイン作業である通常のマルタイでは、これに適さないため、小型機である本機種が導入されている。12)軽量であるためトラック輸送が可能で、他現場への転用が容易である点も評価されている。12)
同公団では昭和45(1970)年にPlasser&Thuerer製小型マルタイである06-16 BEAVERを導入しており13)、同様の環境下での使用を想定したものと思われる。
山陽電気鉄道(山陽)
導入時期不明であるが、昭和56(1981)年時点でMTT-170Bが1両在籍している。14)同時期の同社はMTT-135CKを1両保有しているが、同機種は本機種の製作終了後(1970年代後半)に開発されているため、導入順では本機種のほうが早いと思われる。
秩父鉄道?
昭和49(1974)年にマルタイ導入が記録されている15)が、詳細な記述のある文献や写真が未発見であり本機種であると断定はできない。導入時期が本機種製作期間中である事、現在発見している写真16)の姿が本機種とよく似ている事から、本機種が導入されたものと推定される。
本機種を導入した事業者は、自社線にバラスト区間が少なく使用頻度が限られる事例(鉄建公団、営団)、自社初のマルタイとして導入した事例(琴電、地鉄、山陽)の2極化しており、当時国産機唯一の小型マルタイとして導入事業者のニーズに合致した機種であったといえよう。なお地鉄と山陽は後に芝浦製の大型マルタイの増備を行っており、その礎としての使命を見事に果たしている。
■参考文献
1)桜沢昇『日本鉄道建設公団』,建設の機械化,318号(1976,8)
2)松田務 『腐ってもマルタイ 今、明かされるマルタイのすべて…』,トワイライトゾ~ンMANUAL5,ネコ・パブリッシング(1996)
■脚注
1)千田穣一『高松琴平電鉄の保線』,鉄道線路,26巻10号(1978.10)
2)『80年のあゆみ』,高松琴平電気鉄道,(1989) p140
3)『80年のあゆみ』,高松琴平電気鉄道,(1989) p142
4)『仕事を追う⑤ 線路を守る保線区の巻』,地下鉄,221号,(1972.1)より引用にて「綾瀬保線区の最新鋭機」と紹介されているため。
5)藤原隆郎『特殊勤務体制-帝都高速度交通営団-』,鉄道線路,21巻4号(1973.4)
6)『富山地方鉄道五十年史』,富山地方鉄道,(1983)p526-529
7)『富山地方鉄道に聞く』,新線路,40巻10号(1986.10)表3
8)金山太一『富山地方鉄道労働組合五十年史』,富山地方鉄道労働組合,(1995)p210-211
9)『マルタイ、オート化 一層の作業能率化を図る』,ちてつ,276号(1978.5)
10)金山太一『富山地方鉄道労働組合五十年史』,富山地方鉄道労働組合,(1995)p230-231
11)現・阿武隈急行線。当時は槻木~丸森間が丸森線として開業済で、丸森~福島間が鉄建公団によって建設中であった。(昭和53年に完成、阿武隈急行設立後の昭和63年に開業)
12)桜沢昇(1976.8)
13)桜沢昇『日本鉄道建設公団で採用した新機種』,建設の機械化,258号(1971.8)
14)西中正行『山陽電気鉄道の線路管理について』,鉄道線路,第29巻3号(1981.3) 表3
15)小林彰『秩父鉄道』,鉄道線路,第32巻1号(1984.1)
16)『秩父鉄道の100年 鉄道とともに歩む人びとの1世紀のドラマ』,郷土出版社,(1999)p140に昭和56(1981)年の秩父本線石原駅を写した写真が掲載されているが、側線にMTT-70らしき小型マルタイが留置されている様子が伺える。