(写真:架線点検作業にて稼働中の架線保守車。京阪電気鉄道が昭和48(1973)年時点で保有していた個体である。
『京阪電鉄の特殊車両』,鉄道ピクトリアル,23巻臨時増刊号(1973.7)より引用)
■概要
日本語において「ジープ」はもはや一般名詞と化し、「4輪駆動のオフロード車」を意味する事が多々あるが、本来は米陸軍が第二次世界大戦中に開発した4輪駆動車の事である。
戦場で機敏に動ける小型自動車を欲した米陸軍は、1940年頃より国内メーカー3社に競作させた後、ウイリス・オーバーランド(Willys–Overland Motors)社が製作したウイリス・MBが量産モデルに選定され、同型のフォード・GPWと共に終戦まで大量に生産された。”JEEP”という愛称は英語のGeneral Purpose Car(万能車)を略した”GP”を由来とする説が有力である。
三菱ジープのベースとなったウイリス・CJ GP企画センター(2018)より引用
終戦後のウイリス社は軍需の激減からジープの乗用車仕様であるウイリス・CJの販促に注力する様になり、世界各地で代理店を設立していた。日本では進駐軍によりMBが大量に持ち込まれたが、昭和24(1949)年にウイリス社の代理店が設立され、CJの新車販売が開始されている。
翌年になるとウイリス社は日本におけるノックダウン生産を検討し始め、さらに3年後の昭和28(1953)年2月より新三菱重工業によってCJのノックダウン生産が開始されている。
新三菱は名古屋市の大江工場にて進駐軍のジープの板金修理を手掛けていた事、警察予備隊が設立され軍需が見込める事から、ウイリス社との提携に合意したのであった。
昭和31(1956)年にはエンジンを含むすべての部品の国産化を達成しノックダウン生産からライセンス生産へと移行している。
これ以降、新三菱重工業が三菱重工業へ社名変更し、さらに自動車製作部門が独立して三菱自動車が設立された後も、三菱ジープは長らく生産され続けた。
平成10(1998)年の生産終了を迎えるが、その生産期間は実に半世紀近いロングヒット車種であった。
新三菱重工業大江工場にて続々生産される三菱ジープ GP企画センター(2018)より引用
さて、三菱ジープは消防車や除雪車等の特装車への架装例が多岐に渡る。
これは新三菱が防衛庁以外への販路を増やすべく特装仕様の販売に積極的であった事と、ジープはウイリス社による原設計の時点でPTO機構が装備されており、シャフトの配置次第で前後および車体中央各々から動力を取り出せたため特装車としての設計が容易であった事が理由に挙げられる。
ジープのPTO。変速機の直後に搭載され上記様にシャフトの配置次第で前後および車体中央各々から動力の取り出しが可能である。(1981.12)より引用
もちろんジープをベースとした軌陸車への架装例も存在する。
国鉄電気局が電化区間の保守点検用に開発した「架線保守車」の例と、陸上自衛隊第101建設隊が国鉄と共同開発した例である。
■参考文献
GP企画センター『国産ジープタイプの誕生 三菱・トヨタ・日産の四輪駆動車を中心として』,グランプリ出版,(2018)
田中裕『近鉄の電力施設の概況』,鉄道ピクトリアル,31巻臨時増刊号(1981.12)より引用