ブームと検測トロリーを取り付けた状態のBN 60
『Revue économique franco-suisse』41巻4号,1961年,広告pより
B 60は、MATISA製のマルチプルタイタンパーである。この記事では派生型のBN 60およびBNR 60についても扱う。
■概要
(1)B 60
国鉄のB60
石原 一比古「マルタイのいろいろ」『新線路』30巻9号,1976年,グラフpより
B60の構造図
日本鉄道施設協会「保線データ・シートNo.11:保線機械その3」『鉄道線路』14巻1号,1966年,p.付録175-192より
B 60はB 27の改良型に当たる。車端にタンピングユニットを持つ構造は変わっていないが、エンジン出力が向上し、外観が大幅に洗練された。またB 27より搭載された、自動マクラギ間移動機能/自動つき固め繰り返し機能/つき固め深度調節機能/レール振動防止オイルダンパーなどを引き続き備えているほか、以下の改良が加えられている1)。
- タンピングツールの開閉動作も油圧化・自動化された。
- 向かい合った各ツールの締め付け圧力を個別に変更できるようになった。
- 各調整機能の制御に電気式スイッチが多用されるようになった。
- 走行用の動力伝達方式が油圧モーター式(タンピング時)と歯車式(回送時)の併用になった。
- 回送時の走行性能が大幅に上昇した(最高65km/h)。
これらの改良により作業能力は約250m/hとなり、B 27の約200m/hから向上している。
(2)BN 60
東海道新幹線・鴨宮モデル線の工事に使われるBN 60
鉄道施設協会『鉄道線路』10巻11号,1962年,広告pより
BN 60の側面図
小林 正宏「軌道工事用機械」『新線路』18巻10号,1964年,pp.17-23.より
B 60に、レールの高低・水準(傾き)を整正するレベリング機構[Niveleuse]を追加したものがBN 60である。高低・水準の整正(レベリング)は従来、人力でつき固め作業箇所の手前の狂いを測定し、レールをジャッキアップ(こう上)することで行われていた。こうした作業をBN 60ではマルタイ側で処理できるように改良された。
BN 60のレベリング機構概念図
伊能(1963)より
BN 60の外観は、前方に伸びたブームとタンピングユニット両脇のジャッキ、そして車体上に渡されたトランスミッションチューブが特徴的である。ブームは検測トロリー(A)とレールキャッチ(B)を、トランスミッションチューブはレールキャッチ(B)と後車輪(C)を機械的に連携させている。
高低のレベリング作業では、まずタンピングユニット両側のジャッキをレール脇に降ろし、レールキャッチでレールを掴む。その後、A点の高さに平均こう上量を足したA´点とC点を結んだ面の高さに揃うよう、B点のレールを車体ごとジャッキアップする。この状態でつき固めを行うことで、レールを正しい高さに固定させる、という仕組みである。また水準については、狂いをペンドラム(水準器)で検出し、基準とする片側のレールに対してもう一方のレールの高さを自動的にこう上することで整正する2)。
なお、前方のブームと検測トロリーは、回送時には取り外して車体側面に格納することができる。
(3)BNR 60
回送状態のBNR 60。ブームを取り外して側面に取り付けている
鉄道施設協会『鉄道線路』14巻8号,1966年,グラフpより
前後に検測用トロリーを取り付けジャッキを展開した状態のBNR 60
鉄道施設協会『鉄道線路』14巻8号,1966年,グラフpより
BN 60に、レールの蛇行を整正するライニング機構[Ripeuse]を追加したものがBNR 60である。蛇行の整正(ライニング[通り整正])も従来は人力で行うか、または専用のトラックライナー(通り整正機)で作業がなされていた。BNR 60では、このライニングをつき固め・レベリングと同時に作業できるように改良された。
BN 60のライニング機構概念図とレールキャッチ部構造図
吉場(1966)より
BNR 60は、レールキャッチにスルーイングジャッキが付いていること、車体後方に後部検測トロリーが付いていることが外観上の特徴である。前方検測トロリー(A)、レールキャッチ(B)、後車輪(C)、後部検測トロリー(D)はそれぞれワイヤーで結ばれている。つき固め作業時にレールキャッチがレールを掴むと、A・C・D点に対してB点が、あらかじめ設定したその区間の正しい直線または曲線からどれだけ左右にずれているか計算される。その結果を元にレールキャッチが左右に動いてレールを正しい位置に整正し、自動的に蛇行が修正される、という仕組みである3)。
なお、後部検測用トロリーも回送時は軌道上から取り外して格納することできる。
■運用
B 60シリーズは国鉄が多数を導入したほか、私鉄では近鉄で使用された。
国鉄においては、単機能のB 60は1962年に在来線・新幹線それぞれ1台ずつの導入にとどまった4)。一方、BN 60は同じく1962年から主に新幹線用としてまとまった数が導入された。これらは東海道新幹線の建設に用いられたが、当初は新型機械に対する不慣れさから、機械を痛めるような使い方があったことも記録されている5)。新幹線の開業後もB 60・BN 60は引き続き保線用として使用された。
BNR 60は1965年度に新幹線へ1台導入されたのみであった模様だが6)、これは翌年度から後継機種であるB 80(BNRI 80)の導入に移行したことが原因と考えられる。BNR 60はライニングを可能とした最初期のマルタイであったが、当時はまだ曲線区間などでは横押し力が不十分という評価を受けていた。またBN 60・BNR 60ともに、ジャッキが道床肩を沈下させたり駅構内で構造物に支障したりするなどの問題を抱えていた7)。
これらのB 60シリーズは1970年代以降、B 85が主流となるにつれ徐々に置き換えられていった。
防音カバーを付けた近鉄のB 60(左)とBN 60(右)
小林(1973)より
近鉄においては、1961~1962年度にB 60が計2台、1963~1964年度にBN 60が計3台、1966年度にBNR 60が1台の計6台が導入され、私鉄における機械式マルタイ使用の先駆をなした8)。先に導入されたB 27では騒音に対する沿線からの苦情が多かったため、B 60ではMATISA協力の下、タンピングツールやエンジンを防音カバーで囲い、内部には吸音材を詰めるなどの対策が取られ、一定の防音効果を得られたという。BN 60以降はタンピングユニットの周囲にブームやジャッキが配置されている構造のため、エンジン部のみカバーで覆う構造に変更された9)。
なおB 60とBNR 60の各1台は1977年に近畿日本軌道工機に移管されており、このうちB 60は1990年代まで名古屋営業局管内で使用されていた10)。
国鉄・近鉄における各タイプの導入数は以下のとおり11)。
タイプ | B 60 | BN 60 | BNR 60 |
国鉄(在来線) | 1 | 8 | – |
国鉄(新幹線) | 1 | 21 | 1 |
近鉄 | 2 | 3 | 1 |
(単位:台)
■諸元
各タイプの標準的な諸元は以下の通り12)。
タイプ | B 60 | BN 60 | BNR 60 |
全長 | 7.280[m](狭軌) 7.400[m](標準軌) |
8.250[m](狭軌) 8.200[m](標準軌) |
8.400[m](標準軌) |
全幅 | 2.480[m](狭軌) 2.620[m](標準軌) |
2.750[m](狭軌) 2.800[m](標準軌) |
2.800[m](標準軌) |
全高 | 2.820[m](狭軌) 2.850[m](標準軌) |
3.200[m](狭軌) 3.200[m](標準軌) |
3.200[m](標準軌) |
自重 | 16.00[t](狭軌) 16.30[t](標準軌) |
18.40[t](狭軌) 18.65[t](標準軌) |
20.90[t](標準軌) |
作業能力 | 約250[m/h] | ||
タンピングツール | 1丁づき16頭 | ||
ツール振動数 | 2100[rpm] | ||
エンジン | GM-4045C 120[HP]/1800[rpm] | ||
油圧装置 | VickersまたはDenison 160[kg/cm^2] | ||
コンプレッサー | 250[l/min] | ||
自走速度 | 65[km/h] | ||
運転操作人員 | 2名 | 3名 | 3名 |
■脚注・文献
1)白井 国弘『保線機械の取扱と事故防止:マルチプルタイタンパ』1973年,アース図書.日本鉄道施設協会「保線データ・シートNo.8:保線機械その1」『鉄道線路』13巻7号,1965年,pp.付録143-156.湯本 幸丸『写真解説保線用機械(改訂増補5版)』1980年,交友社.
2)伊能 忠敏「自動マルタイ」『新線路』17巻5号,1963年,p.47.日本鉄道施設協会「保線データ・シートNo.11:保線機械その4」『鉄道線路』14巻4号,1966年,pp.付録193-206.
3)日本鉄道施設協会,前掲2.吉場 弘幸「MTT BNR-60による軌道整備作業の概要」『鉄道線路』14巻8号,1966年,pp.31-33.
4)施設局保線課『保線用機械一覧表:昭和41年3月31日現在』,1966年.
5)静岡幹線工事局編『東海道新幹線工事誌』,1965年,東京第二工事局.
6)小林 茂樹「作業基準(3):道床つき固め作業(マルチプルタイタンパ)」『鉄道線路』18巻3号,1970年,pp.41-45.吉場,前掲3.
7)吉場,前掲3.日本鉄道施設協会「改良されたマチサマルタイ(BNRI-80)」『鉄道線路』15巻3号,1967年,グラフp.
8)小林 陽三「新しい保線機械と道床改良作業システム」『近畿日本鉄道技術研究所技報』7巻1号,1975年,pp.108-121.
9)小林 陽三「保線作業機械化の方向と騒音対策」『鉄道線路』21巻3号,1973年,pp.32-36.
10)河村 猛・出口 俊和「近鉄のマルタイ作業」『新線路』41巻10号,1987年,pp.19-21.松田 務「腐ってもマルタイ:今、明かされるマルタイのすべて…」『トワイライトゾ~ンMANUAL』5号,1996年,pp.190-209.
11)河村・出口,前掲10.施設局保線課,前掲4.杉下 孝治「マルタイの変遷」『新線路』35巻9号,1981年,pp.9-13.日本国有鉄道『新幹線十年史』,1975年,日本国有鉄道新幹線総局.深沢 義朗「新幹線の保線の現状」『鉄道線路』14巻8号,1966年,pp.7-12.
12)日本鉄道施設協会,前掲1.日本鉄道施設協会,前掲2.湯本,前掲1.
■BN 60
■BNR 60