(写真:MTT-13Bと思われる名鉄のマルタイ。引用元には説明がないが、『保線年報(1960年版)』p28には出荷前と思われる写真がMTT-13Bとして掲載されている。
名古屋鉄道株式会社(1963)p35より引用)
「新型油圧式マルタイ」として紹介されている名鉄のMTT-13。上記MTT-13と細部が異なるためMTT-13Cだろうか。
村山煕『新型油圧式マルタイ 名古屋鉄道』, 新線路, 14巻2号, (1960年2月),p2より引用)
■概要
名古屋鉄道(名鉄)へ昭和33(1958)年より導入が開始された中型電気マルタイである。
同年7月にMTT-3Aが1両導入された後、翌昭和34(1959)年に改良型のMTT-13が導入された。これが決定版となった模様で、昭和36(1961)年までに5両が導入されている。
諸元を下記に示す。
MTT-3A | MTT-13 | ||
全長×全幅×全高 | 3.9m×2.5m×2.5m | 5.3m×2.2m×2.6m | |
総重量 | 3,700kg | 8,200kg | |
原動機 | 型式 | トヨタR型 (ガソリン) |
トヨタD型 (ディーゼル) |
定格出力 | 42ps/3,600rpm | 48ps/1,200rpm | |
3相交流 発電機 |
15KVA-3φ-220V -60c/s-2P-3,600rpm |
25KVA-3φ-220V -60c/s-6P-1,200rpm |
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油圧装置 | 油圧ポンプ 駆動用 電動機 |
無し | 3.7KW-3φ-200V -60c/s-6P-1,200rpm (2台搭載) |
油圧ポンプ | 無し | 油研LT-R(2台搭載) 2台吐出量30L/min (1,200rpm) |
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常用圧力 | 無し | 43kg/cm2 | |
タイピング 装置 |
起振用 電動機 |
400W-3φ-200V -60c/s-2P-3,600rpm (8台搭載) |
600W-3φ-200V -60c/s-2P-3,600rpm (8台搭載) |
ツール数 | 16本 | 16本 | |
上下昇降用 電動機 |
1.5KW-3φ-200V -60c/s-6P-1,200rpm (2台搭載) |
無し | |
伝達機構 | ローラチェーン スリップクラッチ ウォーム リミットスイッチ |
油圧シリンダー ボア60φ ×ストローク260 |
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走行装置 | 走行用 電動機 |
7.5KW-3φ-220V -60c/s-4P-1,800rpm |
11KW-3φ-200V -60c/s-4P-1,800rpm |
伝達機構 | トヨタS型クラッチ 変速機(3段変速) ローラチェーン |
トヨタF型クラッチ 変速機(4段変速) ローラチェーン |
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制動装置 | 油圧式4輪制動 ハンドブレーキ |
油圧式4輪制動 ハンドブレーキ |
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枕木間の 移動 |
手動クラッチ レバーと足踏み式 オイルブレーキ |
油圧操作により クラッチと オイルブレーキ連動 |
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走行性能 | 18km/h | 30km/h |
大間・加藤・足立(1968)p133-135記載の表から抜粋し作成
諸元の通り、MTT-3Aはガソリンエンジンを搭載し、タイピングユニットが電気モーター駆動であったが、MTT-13は原動機がディーゼルエンジンに、タイピングユニットが油圧昇降に改良されている。1)
名鉄に導入されたMTT-13は正確な形式が不明である。名鉄には昭和61(1986)年時点でMTT-13BおよびMTT-13Cという機種の在籍が確認されているが2)、芝浦製作所の命名規則から考えるとMTT-13Aが存在するはずで、昭和34(1959)年に導入されたMTT-13型の初号機がMTT-13Aであった可能性が高い。3)
なお昭和36(1961)年には近畿日本鉄道(近鉄)へもMTT-13Dが1台導入されている。4)
製作年 | 型式 | 備考 |
昭和32(1957)年 | MTT-1A | 芝浦製作1号機 |
昭和33(1958)年 | MTT-2A | 芝浦製作2-3号機 国鉄導入 |
昭和33(1958)年 | MTT-3A | 芝浦製作4号機 名鉄導入1号機 ガソリンエンジン搭載、タイピングユニット電動昇降、回送走行機能搭載 |
昭和34(1959)年 | MTT-4A | 国鉄向け量産機 ガソリンエンジン搭載、タイピングユニット電動昇降、回送走行機能搭載 |
昭和34(1959)年 | MTT-13(A?) | 名鉄向け改良型 ディーゼルエンジン搭載、タイピングユニット油圧昇降 |
昭和35(1960)年 | MTT-14A | 国鉄向け量産機 ディーゼルエンジン搭載、タイピングユニット油圧昇降 |
芝浦製マルタイの国鉄と名鉄における導入年と機能についての比較
本機種の特徴として、国鉄とほぼ同時に電気マルタイの研究を行っていた名鉄が主導して開発された機種である点が挙げられる。MTT-3Aの導入時期は国鉄へMTT-2が2台導入された直後であり、芝浦製作所製国産マルタイとしてもわずか4台目の製作例であった。5)
MTT-3Aは回送走行機能を芝浦製マルタイとして初めて搭載しており、昭和34(1959)年に製作されるMTT-4より1年先んじている。MTT-13のほうもディーゼルエンジンと油圧昇降タイピングユニットの搭載が昭和35年(1960)年に製作されるMTT-14より早く、名鉄は国鉄向け電気マルタイよりも先進的な機種を導入していた事になる。
■名鉄がマルタイ導入に熱心であった理由
名鉄は昭和37(1962)年までにMTT-3A・MTT-13・MTT-15を全線へ配備したが、昭和30年代後半のわずか4年間に一挙8台のマルタイを導入した事になり、その進捗は他社と比べて異常とも言うべき速さであった。6)
なぜ名鉄がマルタイ導入に熱心であったかというと、名鉄独特の社風が理由に挙げられる。名鉄は伝統的に労使協調路線を取っており、昭和20年代に人員削減を一切行わなかった見返りとして、労働者側から経営合理化運動が展開されるなど合理化への関心も強い社風であった。昭和28(1953)年には名古屋地区東海道本線電化への対抗として全線のスピードアップを行ったが、この資金捻出のため合理化は本格化し昭和30年代は全社を挙げて機械化や組織改正等の施策を行っていた。7)
土木部署においては、現場の作業員が保守点検に関わる全ての作業を行っている事が問題視され8)、昭和30(1955)年頃の組織改正でまくらぎ班やタイタンパー班等の5班を設け作業を専門化した。これに伴い75名の要員削減に成功したので、更なる合理化のためマルタイ導入による道床作業機械化と単純労働の外注化を行う事になった。当初はマチサ製の輸入を計画した様だが、MTT-2導入の時期と重なりその成果を知り得たので、MTT-3Aの導入に踏み切ったわけである。9)
マルタイ導入の成果は名鉄にとって絶大であった。400mの突き固めに従前16時間要していたのが4時間に短縮され、同時に行われたまくらぎ交換作業の外注化と併せて大幅な要員削減に成功している。10)要員削減の結果として、8台目の導入が完了してしばらく後の昭和39(1964)年には、7区あった土木管理区が3区(東部・中部・西部)に改変され、現在の線路保守体制の原型が成立している。11)
■参考文献
1)名古屋鉄道株式会社『合理化のあゆみ』,(1963)
2)名古屋鉄道株式会社『合理化のあゆみ』,(1970) ※上記の改訂版
3)榎修仁『名古屋鉄道株式会社における土木現業の経営合理化について』,鉄道線路,8巻2号,(1960年2月)
4)大間秀雄・加藤正・足立顕『機械保線作業』,中央鉄道学園,(1968)
5)春永駒男・小林陽三『保線作業機械化の現状と方向について』,近畿日本鉄道技術研究所技報,2巻1号,(1970年12月)
6)村手光彦・大島弘『名古屋鉄道における保線の合理化と将来構想』,鉄道線路,21巻5号,(1973年5月)
7)石原一比古 『電マルの生いたち』,新線路,32巻4号,(1978年4月)
8)河村猛・出口俊和 『近鉄のマルタイ作業』,新線路,41巻10号,(1987年10月)
■脚注
1)榎(1960)p21
2)川口興二郎・高木忠『線路と保線』,鉄道ピクトリアル,臨時増刊号 36巻12号,(1986年12月)p35掲載の表3による
3)湯本幸丸『写真解説 保線用機械』,交友社,(1967)p42にはMTT-13AをMTT-14Aの私鉄版として紹介している。時系列としてはMTT-13Aのほうが先なので誤謬ではあるが、MTT-13Aの存在には言及している事になる。
4)河村猛・出口俊和(1987)p20掲載の表3によると、天王寺営業局(南大阪線)へ導入された後に名古屋営業局(養老線?)へ転じている。記事掲載時点では外注業者の近畿日本軌道工業が保有していた。
5)村山煕『タイタンパーのいろいろ』,新線路,12巻11号,(1958年11月)では、記事掲載当時の芝浦製マルタイについて国鉄2台と名鉄1台と解説している。MTT-1Aは試作機で国鉄へ納入されなかった事を考慮し、国鉄2台をMTT-2A、名鉄1台をMTT-13Aと解釈すると時系列にも合致する。
6)例えば同時期にマルタイを多く保有していのは近鉄であるが、春永駒男・小林陽三(1970)p116によると昭和37(1962)年時点ではわずか5台しか保有しておらず、路線規模が倍近く違う事を考えると名鉄が如何に急速だったかご理解いただけるだろう。
7)名古屋鉄道株式会社(1963)p9~34の要約
8)名古屋鉄道株式会社(1963)p46
9)榎(1960)
10)名古屋鉄道株式会社(1970)p62および村手・大島(1973) 現在の同社は保守工事を基本的に矢作建設工業などへ外注する事が知られているが、この時が初の事例であり、移行段階的に保守工事の外注化を展開してゆく。
11)村手・大島(1973)