芝浦製作所のマルチプルタイタンパー


■概要
内燃発電機を動力源とする電気式マルタイ(電マル)を得意とし、かつて国産マルタイを数多く製作していたメーカーである。
長らく株式会社芝浦製作所を社名としていたが、平成10(1998)年の東芝メカトロニクスとの合併の際に株式会社芝浦メカトロニクスに社名変更1)し、さらに平成13(2001)年には保線機械の営業部門を子会社の芝浦エレテックに移管2)している。同社は現在も産業機械メーカーとして盛業中で、保線機械においても多頭タンパと呼ばれる小型マルタイ等をごく少数製作している。

芝浦製作所の創業は戦時中に遡る。日中戦争開戦に伴う電機メーカーの戦時統合として、昭和14(1939)年7月に東京電気株式会社と(旧)株式会社芝浦製作所が合併し東京芝浦電気株式会社(東芝)が成立するが、前身2社は米国GE社と提携しており、GE社から派遣された外国人が役員を務める等していたため、軍需産業を手掛ける同社は機密保持という点で問題を抱えていた。
このため東芝の軍需産業部門を別会社に分離する事になり、昭和14(1939)年10月に株式会社芝浦京町製作所が発足、同年12月には東芝の前身企業に因む株式会社芝浦製作所に社名を変更している。以降終戦までに軍需産業を広く手掛け、昭和15(1940)年にはその後長らく使用される社標が制定されるが、当初は”芝”の字を陸軍と海軍のシンボルである星と桜が囲んでいた。3)


芝浦の社標。なおデザインは戦後になって修正されている。株式会社芝浦製作所(1989)p9より引用

戦後は民需に転換するが東芝との関係は続き、小浜工場(福井県小浜市)が所管する東芝の家電用部品(洗濯機用モーター等)生産等で成長してゆくが、大船工場(神奈川県横浜市)が所管する保線機械部門は東芝の影響下にない芝浦独自の事業であった。昭和22(1947)年には国産初のハンドタイタンパーと電源用内燃発電機を運輸省へ納入し、やがて昭和32(1957)年にはハンドタイタンパー製作技術の応用として国産初のマルチプルタイタンパーの開発に成功、以降先述の電マルを中心とする大型保線機械も担当するようになる。4)

1970年代までに電マルは国内で広く普及した。国鉄では昭和50(1975)年時点で328両もの電マルを所有しており、この時マチサ製は84両でPT製は64両であった事から、まさに大多数が芝浦製電マルであった。5)昭和51(1976)年より製作されたMTT-38を最後に芝浦は電マルの開発を終了し、昭和57(1982)年に開発されたMTT-51(M51)から海外製と同じく機械式マルタイ(重マル)の製作へ移行したが、同時期に国鉄への納入数が激減した事から、同社は保線機械部門を縮小し現在へ至っている。6)

■芝浦製作所製マルチプルタイタンパーの命名法則
佐藤(1975)および松田(1996)には下記の通りと説明されている。

例:MTT-25AK3
MTT マルチプルタイタンパーの意
数字 タンピングユニットの形式
1から4までは順に進んだが、MTT-3の改良型で原動機の燃料がガソリンからディーゼルに変更されたMTT-13の登場以降13から順に進んだ
MTT-15の標準軌仕様をMTT-55とした以外、百の位に1が付く場合は標準軌仕様、2が付く場合は狭軌・標準軌以外の仕様である
A 小変更順
Aから順にアルファベットが進んでゆくが無印の場合もある
K レベリング装置付き
Kの後の数字はレベリング装置の形式
S 防音装置付き
G 脱線防止ガード区間用

なお後に開発される機械式マルタイには、下記の命名規則が適用されたものと思われる。

例:MTT-151MAKT-10W
MTT マルチプルタイタンパーの意
数字+M タンピングユニットの形式
50から順に10加算される形で進んでゆく
芝浦では機械式マルタイをMシリーズと呼称していた模様で、M+数字で機種名を表す場合がある
※例示した”MTT-151MAKT-10W”は”M151″となる
A 小変更順と思われる
K レベリング装置付きと思われる
T ライニング装置付きと思われる
10W 詳細不詳

■参考文献
1)芝浦メカトロニクス株式会社『沿革』https://www.shibaura.co.jp/company/history.html(2023年2月11日閲覧)
2)芝浦エレテック株式会社『沿革』https://www.shibaura.co.jp/eletec/company/history.html(2023年2月11日閲覧)
3)佐藤『マルタイの性能』,新線路,29巻12号,鉄道現業社,(1975.12)
4)株式会社芝浦製作所『50年のあゆみ』,(1989)
5)松田務 『腐ってもマルタイ 今、明かされるマルタイのすべて…』,トワイライトゾ~ンMANUAL5,ネコ・パブリッシング(1996)

■脚注
1)芝浦メカトロニクス株式会社『沿革』
2)芝浦エレテック株式会社『沿革』
3)株式会社芝浦製作所(1989)p3-11の要約
4)株式会社芝浦製作所(1989)p31-65の要約
5)佐藤(1975)
6)株式会社芝浦製作所(1989)p124-126の要約 同p126図表5-6によると、MTT-38(電マル)は98両を生産したが、MTT-51以降の重マル3形式は合計で25両しか生産できていない。なぜ国鉄への納入が激減したのかは不明であるが、国鉄分割民営化等の情勢の変化も関係していると思われる。




佐藤優『西武鉄道保線機械の変遷』,新線路,71巻6号,(2017.6)写真-1より引用

製作年:昭和39(1964)年
納入先:国鉄、名鉄、西武



新線路,19巻10号,(1965.10)芝浦製作所広告頁より引用

製作年:昭和40(1965)年
納入先:国鉄、製鉄所(納入先不明)



湯本幸丸『写真解説 保線用機械』,交友社,(1967)p50より引用

製作年:昭和42(1967)年
納入先:国鉄、京成



『社内ニュース』,社内報 月刊京成,179号,(1969-5)p11より引用

製作年:昭和43(1968)年
納入先:国鉄、京成、三岐(中古)



製作年:昭和46(1971)年
納入先:国鉄、西武、京王、京急、名鉄、京阪、西鉄



製作年:昭和51(1976)年
納入先:国鉄、山陽、長電、富士急


製作年:昭和52(1977)年
納入先:国鉄、ちほく(中古)、茨交→ひたちなか(中古)、長電(中古)、伊予鉄(中古)、松浦鉄道(中古)


製作年:昭和56(1981)年
納入先:国鉄、京王、名鉄、西鉄、営団、山陽、仙台市交



製作年:昭和56(1981)年
納入先:国鉄、富山地鉄



新線路,37巻1号,(1983.1)芝浦製作所広告頁より引用

製作年:昭和56(1981)年
納入先:国鉄



菊川哲士・服部英夫『民鉄施設・電気』,交通技術,24巻10号,(1969.10)より引用

製作年:昭和43(1968)年
納入先:名鉄、伊豆急



富山地方鉄道株式会社『富山地方鉄道五十年史』,(1983)p528より引用

製作年:昭和47(1972)年頃
納入先:富山地鉄、営団、琴電


製作年:不明
納入先:京急


製作年:不明
納入先:名鉄