MTT-35

(写真:MTT-35DSK-5A。東京南局新橋保線区に納入され、メーカー広告等で頻繁に宣伝された個体である。)


■概要
昭和50(1975)年度1)に国鉄へ導入されたMTT-35DSK-5Aを始祖とし、更に昭和52(1977)年2)には改良型のMTT-35DSK-5Bが国鉄へ導入されている。一方で仕様が大幅に変更されたMTT-35DSK-9Wが80年代前半に開発され、国鉄以外の各社へ導入された。更にMTT-25CKの試作車を本機種へ改造したMTT-35CKが山陽電気鉄道へ導入されている。

諸元は下記の通りである。

項目 諸元
本体 全長 9,100mm(回送12,800mm)
全幅 2,700mm
全高 3,100mm
重量 28t
光源車 全長 3,000mm
全幅 1,600mm
全高 2,500mm
重量 2t
本体エンジン 形式 ディーゼル機関(水冷)
定格出力 146ps/1,800rpm
光源車エンジン 形式 ガソリン機関(空冷)
定格出力 5ps/3,600rpm
本体発電機 形式 3相交流
定格出力 30kw/1,800rpm
電圧 220V
周波数 60Hz
光源車発電機 定格出力 2.5kw/3,600rpm
電圧 100V
周波数 60Hz
タンパモータ 定格出力 2kw/3,400rpm
電圧 220V
周波数 60Hz
タンピングツール数 棒板 16本
タンピング機構 等距離式
作業性能 回送最高速度 50km/h
タンピング能力 180~220m/h
検出精度(高低/水準) ±1mm
その他 タンピングバーの間隔 600mm(最大)360mm(最小)
タンピングバー最大下げ位置 レール面頭から約420mm
ブレーキ装置 油圧式、ハンドブレーキ
防音装置 あり
散水装置 散水パイプのみ設置
冷暖房装置 冷房3,200kcal/h
暖房3,000kcal/h

内容は保線機械研究グループ(1979)より引用。同書の内容からMTT-35DSK-5Aまたは5Bの諸元を示すものであるが、どちらの諸元かは記載がなく不明。

同じMTT-35を名乗っているものの、4機種で仕様が全く異なるため、本記事では開発順に各機種を解説したい。


MTT-35DSK-5A
MTT-25DSKをモデルとして3)国鉄に導入された機種であり、固結道床対策と作業環境改善を目的に開発された。4)昭和50(1975)年度に6台が製作され、旭川/新潟/水戸/東京南/静岡/熊本の管理局管内へ各1台が配備された。4)
国鉄におけるMTT-25系列の改良機兼後継機という位置づけである。改良点についての詳細は猪狩(1976)、石原(1976)および石原(1978)に詳しいが、下記の通り要約して解説する。

①タンピングユニット

MTT-25DKとMTT-35DSKのタンピングユニットの構造比較。石原(1978)図2より引用。
固結道床対策として構造が大幅に見直されている。振動源であるタンパモータについて、従前はヨークに防振ゴムを介して間接的に取付されていたが、本機種はヨークに直接取付される様になり、合わせてヨークの重量も84kg増加されている。重量化されたヨーク自体が振動し、且つヨークの先端に振動が集中する構造となっているため、固結した道床への搗き固め能力が強化される事となった。
また、油圧回路も変更され、タンピングユニットの下げ動作と同時に締固め(押し込み)動作ができる様になった。
これに加えて電気回路の変更されており、枕木下80cmの位置までツールが下りないまま3.5秒が経過すると、ツールが下がりながら開閉し、更に前後方向へ揺さぶりがかかる様、タンピングユニットの動作自体が改良されている。これにより枕木下への到達時間の短縮が実現している。

②作業運転室の個室化

本機種で初めて装備されたインターホン。
『新しい電気式マルチプルタイタンパ(MTT-35DSK5)』,鉄道線路,24巻3号(1976.3)より引用

昭和49(1974)年より国鉄へ導入されたMTT-25DSK5よりタンピングユニットの防音構造が採用されたが、外部防音構造とした結果音が車内に籠るようになったため、これの改善として作業運転室が防音構造の個室化されている。
作業運転室には冷房が搭載され、かつ暖房能力も強化されており、居住環境も確保されている。
また作業運転室と車外への連絡手段としてインターホンが搭載され、車内外の同時通話も可能としている。

③照明能力の強化


大幅に増強された本機種の車外照明。
『新しい電気式マルチプルタイタンパ(MTT-35DSK5)』,鉄道線路,24巻3号(1976.3)より引用

搗き固め後の道床整理作業がし易い様に、車外照明が大幅に増設された。照度については車両前方5m/後方20mの位置で20ルクス、側方3mの位置で5ルクスを確保している。

④光源車のマフラー移設
防雨対策として光源車のマフラーを床下部へ移設した。


MTT-35DSK-5B


MTT-35DSK-5B。光源車の連結棒やヒサシが無くなったキャビン等、外観でも分かる程の改良が施された。図面は保線機械研究グループ(1979)より引用。

昭和52(1977)年度にMTT-35DSK-5Aの改良機として国鉄へ導入された。製作両数は7台と推察される。5)
こちらの改良点は下記の通り。

①走行安定性の向上
各軸箱にオイルダンパが搭載され、軸距も3,000mmから3,200mmへ延長された。
光源車についても台枠支持に軸バネが採用されている。

②反力車輪の装備
タンピングユニットの搗き込み時のパワー増大、および車体の振動の減少と安定性の確保6)、搗き固め時間の短縮6)を目的に車体前部に反力車輪が装備された。

③光源車との間隔調整方式変更
光源車の無線誘導方式を廃止し、作業時の本体との間隔調整は連結棒方式に変更された。

④居住性の向上
作業運転室の個室が廃止され、MTT-25と同じく居住空間に隔壁が無くなり、かつ車内防音構造が全域に拡大された。
冷暖房も引き続き搭載されている。

⑤車外防音構造の変更7)

本機種の防音構造と遮音シート。写真は下部遮音版を下げて且つ遮音シートを半分めくり上げた状態。 内嶌(1978)図1(左)および写真1(右)より引用。
引き続きタンピングユニット部に防音構造を採用しているが、更なる防音としてゴム製と思われる遮音シートが装備されている。
タンピング作業時はシートを張って防音対策とし、点検時には半分ほどめくり上げて固定できる構造となっている。
また下部遮音板と線路面との隙間から発生する騒音の対策として、下部遮音板にスカートが増設されている。
スカートは回送時には昇降できる構造となっており、車両限界に抵触しない様になっている。

⑥作業運転席窓のひさしの廃止。
MTT-25AK2以来、作業運転室窓にはひさしが装備されていたが、本機種からは廃止されている。

同機種は松田(1996)の時点でJR四国高松保線区所属の1台が現存していたが、多度津駅構内で放置されていた。時期不明ながらその後廃車となり現存しない。


MTT-35DSK-9W

導入当初の富士急のMTT-35DSK-9W。田中由造『富士急にマルタイ入線』,鉄道ピクトリアル,32巻7号(1982.7)より引用

1980年代に開発されたモデルチェンジ機である。型式が示す通り、タンピングユニットは従前と同形を搭載しているものと思われるが、キャビン形状がMTT-38にも似た凸形の大型のものとなり、レベリング装置も光線式からワイヤー式に変更され、光源車の代わりにワイヤーを張線する先導車が用意されている。8)

昭和55(1980)年度に長野電鉄向けに1台9)、ほぼ同時期の昭和56(1981)年にインドネシア国鉄向けに1台10)、昭和57(1982)年に富士急行向けに1台が製作されている。11)中でもインドネシア国鉄向けの個体は芝浦史上唯一の海外輸出車であった。松田(1996)の時点では長野電鉄と富士急行に在籍していたが、両車ともその後廃車となり現存しない。インドネシア国鉄の個体は輸出後の動向が不明である。


MTT-35CK
MTT-25CK5の試作車を改造の上で山陽電気鉄道に納入された個体である。10)改造年は不明であるが、昭和56(1981)年にはMTT-135CKが1台在籍を確認でき12)、松田(1996)では在籍が確認できない事から、この間に廃車となったものと思われる。写真や諸元等も不明である。


■参考文献
1)石原一比古『新形電気式マルチプルタイタンパ(MTT-35DSK5)が開発された』,鉄道線路,24巻3号(1976.3)
2)『新しい電気式マルチプルタイタンパ(MTT-35DSK5)』,鉄道線路,24巻3号(1976.3)
3)猪狩信人『今月の表紙写真』,新線路,30巻2号,(1976.2)
4)内嶌弘蔵『マルタイの防音』,32巻9号,(1978.9)
5)石原一比古 『電マルの生いたち』,新線路,32巻4~5号,(1978.4~5)
6)杉下孝治『マルタイの変遷』,新線路,35巻9号,(1981,9)
7)松田務 『腐ってもマルタイ 今、明かされるマルタイのすべて…』,トワイライトゾ~ンMANUAL5,ネコ・パブリッシング(1996)
8)保線機械研究グループ『保線機械便覧』,日本鉄道施設協会,(1979)

■脚注
1)石原(1978)、保線機械研究グループ(1979)他
2)保線機械研究グループ(1979)。原文には「昭和52年」と記載があるが、これが年度を指す可能性もあり正確な製作年は不明。
3)保線機械研究グループ(1979)
4)石原(1976)
5)杉下(1981)ではMTT-35DSKの総台数を13台と紹介しており、既にMTT-35DSK-5Bの配備が終了している時期であるため、先述したMTT-35DSK-5Aの6台を除いた7台となる。(この時点で事故廃車等が発生していない場合。)
6)石原(1978)
7)内嶌(1978)
8)松田(1996)
9)長野電鉄株式会社『長野電鉄60年のあゆみ』p108表7-6およびp163
10)芝浦製作所OB 片山吉信様の談話による。
11)田中由造『富士急にマルタイ入線』,鉄道ピクトリアル,32巻7号(1982.7)
12)西中正行『山陽電気鉄道の線路管理について』,鉄道線路,第29巻3号(1981.3) 表3