(写真:地上時代の札幌駅構内にて、日中作業中のためTMC100A牽引で回送されてきたMTT-25AK3)
■概要
昭和43(1968)年1)にMTT-21と同時に開発された機種である。
基本的な構造と性能はMTT-21と同一であるが、本機種はタンピングユニットにツール開閉用の油圧モーターが追加されている。この油圧モーターにより、道床にツールが挿し込まれた状態でツールを内側(枕木側)に閉じる振動押込形タンピングができる様になった。
本機種のタンピングユニットとその動き 石原(1978.4~5)図1より引用
同時期、鉄道技術研究所と芝浦製作所はレベリング装置搭載機であるオートマルタイの研究開発を進めていた。
昭和44(1969)年に試作機の完成形にして実用1号機であるT-4が開発されるが、これは本機種をベースとして開発されており、芝浦製作所ではMTT-25AKとして型式を呼称していた様である。2)その後にレベリング装置搭載機の量産型としてMTT-25AK2およびMTT-25AK3が、レベリング装置に加えてライニング装置が搭載されたMTT-25AKTが開発されている。
■構造解説
本機種(MTT-25AKT)の全体図 渡辺・長倉・木村・川口(1971.10)図2より引用
・本体
本体の構造はMTT-21とほぼ同一で、原動機から駆動ボックスを介して発電機、油圧ポンプ、変速機を駆動させている。
車体横移動装置(曲線時タンピング用)、離線装置、油圧転車台、リモコン装置等、MTT-21までに採用された各種機構も引き続き搭載しているが、ツール先端を板型/棒形の2種類から選択できたMTT-21とは異なり、本機種では棒形のみの採用となっている。3)
レベリング作業中のMTT-25AK2(西武納入機)。作業員の手にリモコンが見える。
・レベリング装置
本体と水銀灯を搭載した光源車間に照射された光線を用いてレベリングを行う。
現場に到着後、光源車は切り離され、光源車に搭載されたガソリン原動機により自走し、下図の様に光源~スリッタ~受光器の順で並ぶ位置につく。この状態で光源車の左右いずれかの光源から光線が照射され、スリッタによって光線が帯状に整形された後、光線が受光部の中央より下に到達した場合、高低狂いを検知し、光線が受光部の中央に当たるようになるまでレールのこう上と道床搗き固めを行うものである。
この時レベリングを行ったレール(高低の基準としたレール)と反対側のレールが水平か否かをスリッタに搭載された水準器が検知し、水平になるまで基準と反対側のレールのこう上および搗き固めを行う。
なお本体が作業走行する際、光源車も本体との距離を一定に保ったまま自走できる様になっている。この距離の計算には光源車と本体にそれぞれ搭載された測定車輪の回転数を用いる。
本機種のレベリング方式。右がMTT-25AKのみが採用した三点一平面方式、右がMTT-25AK2以降が採用した三点一直線方式である。 石原一(1971.2)図2より引用
以上のレベリング方式は「三点一直線方式」と呼称される。なお、MTT-25AK(オートマルタイT-4)のみ光源2個~スリッタ~受光器間で三角形の平面を作り、スリッタが平面を横切る高さまでレールをこう上する「三点一平面方式」であった。4)
・ライニング装置
レベリング装置と同じく「三点一直線方式」を採用している。光源車の軸間に光源を、本体の前輪付近に受光部を、タンピングユニットの真横にスリットを設けており、光源が受光部の中央に到達する様になるまでレールの横移動を行う。
諸元については下記の通りである。
項目 | 性能 | 数量 | ||
主要機器 | エンジン | 本体 | ディーゼルエンジン 143PS/1,750rpm | 1台 |
光源車 | ガソリンエンジン 8ps/3,400rpm | 1台 | ||
交流発電機 | 本体 | 三相-30kVA-1,800rpm-220V-60Hz | 1台 | |
光源車 | 単相-30kVA-3,600rpm-200V-60Hz | 1台 | ||
油圧ポンプ (ベーンポンプ) |
タンピング用 | 140kg/cm2-86.5l/min | 2台 | |
走行用 | 140kg/cm2-103.5l/min | 1台 | ||
フート
キャッチ用 |
140kg/cm2-130.5l/min | 1台 | ||
こう上用 | 140kg/cm2-9.5l/min | 2台 | ||
ライニング用 | 〃 | 1台 | ||
ばねロック用 | 〃 | 1台 | ||
油圧モータ | タンピング用 | 140kg/cm2-13.9kg-m(ベーン) | 2台 | |
走行用 | 〃 | 1台 | ||
待避用 | 140kg/cm2-5.1kg-m(ギヤ) | 2台 | ||
電動機 | タンパモータ | 2kW-3,400rpm-220V-60Hz-3φ | 8台 | |
光源車走行 電動機 |
400W-184rpm-115V-60Hz-直巻 | 2台 | ||
無線機 | 光源車走行 制御用 |
搬送周波数 40MHz チャネル和4 | 1組 | |
電子機器 | 各種制御用 | – | 16組 | |
リレー | 各種制御用 | AC220V,AC100V,DC24V,DC12V | 180個 | |
総合性能 | 走行性能 | 回送時 | 最高速度50km/h(平坦線), 35km/h(25/1000勾配線) |
|
作業時(本体) | 最高速度2.24km/h(平坦線) | |||
作業時(光源車) | 最高速度3km/h(平坦線) | |||
最大登坂能力 35/100勾配線 | ||||
整正能力 | 整正軌道延長 | 200~400m/h | ||
検出精度 | ±1mm(高低、水準、通り) | |||
最大カント量 | 115mm(N形)または200(S形) | |||
最小曲率半径 | 170m | |||
最小縦曲線半径 | 1,000m | |||
最大こう配変化量 | 60/1,000 | |||
転車、待避能力 | 転車時間 | 3名で3分以内 | ||
待避時間 | 15分以内(本体のみ8分以内) | |||
寸法及び重量 | 外形寸法 | 本体 | 長×幅×高 約8.8m×2.7m×3.4m | |
光源車 | 長×幅×高 約3.05m×2.3m×2.5m | |||
本体光源車連結時 | 長×幅×高 約12.5m×2.7m×3.2m | |||
重量 | 本体 | 約28,000kg | ||
光源車 | 約1,500kg |
MTT-25AKTの諸元表 表1 渡辺・長倉・木村・川口(1971.10)より引用
本機種は中編成機械化を全国規模で推進していた国鉄が大量に導入した他、私鉄においても8社が導入に踏み切り、最終的に芝浦製マルタイで最大の製作台数を誇る5)ベストセラー機となった。
国鉄向けの個体は1980年代より淘汰が開始されたものと思われるが、分割民営化後にJRへ引き継がれた個体が存在し、松田(1996)の発表時点でJR東海建設工事部所属のMTT-25Aが1台残存していた。松田(1996)では名鉄保有のMTT-25AKTとCKTが各1台報告されており、これが私鉄における最後の残存車であった。時期不明ながらその後に両社とも本機種を廃車としており、本機種の保存例は存在しない。
アルピコ交通が保有してた確認台車。その姿から「青トロ」と呼ばれ従業員に親しまれていた。
但しMTT-25AK3の光源車を改造したものと思われる確認台車をアルピコ交通が保有しており、令和3(2021)年に開催されたお別れイベントで廃車となるまで、実に50年もの長きに渡り本機種が営業線の上を走り続けたのであった。6)
■機種別解説
機種 | 導入事業者 | 台数 | 導入年月 | 記事 | |
MTT-25A | MTT-25A | 国鉄 | 247) | 昭和46(1971)年7) | |
MTT-25AK | 国鉄 | 14) | 昭和44(1969)年2)4月4) | オートマルタイT-4型 東京西局に配備4) |
|
MTT-25AK2 | 西武 | 18) | 昭和44(1969)年10月8) | ||
MTT-125AK2 | 山陽 | 台数不明9) | 昭和45(1970)年12月9) | ||
機種名不明10) | 京急 | 111) | 時期不明 | ||
MTT-25AK3 | 国鉄 | 257) | 昭和46(1971)年7) | ||
MTT-25AKT | 西武 | 19) | 昭和46(1971)年3月9) | ||
名鉄 | 112) | 昭和46(1971)年10月12) | |||
MTT-225AKT | 京王 | 113) | 昭和45(1970)年13) | 昭和59(1984)年まで在籍13) | |
MTT-25C | MTT-25C | 国鉄 | 25 | 昭和46(1971)~48(1973)年7) | |
MTT-25CK5 | 国鉄 | 867)or8814) | 昭和46(1971)~48(1973)年7) | ||
MTT-25CKT13) | 名鉄 | 215) | 時期不明~47(1972)年16) | ||
MTT-25D | MTT-25D | 国鉄 | 67) | 昭和49(1974)年7) | |
MTT-25DK5 | 国鉄 | 3714)or387) | 昭和48(1973)~49(1974)年7) | ||
MTT-25DSK5 | 国鉄 | 67) | 昭和49(1974)~昭和50(1970)年7) | ||
MTT-25E | MTT-25EKT | 西武 | 19) | 昭和48(1973)年10月9) | |
MTT-125EK | 京阪 | 117) | 時期不明 | ||
MTT-125EKT | 西鉄 | 218) | 昭和49(1974)年18) |
公開文献で確認できる限りの本機種の機種名、台数、導入事業者の一覧表。
先述の通り本機種は大量に製作されたため、派生機種もたいへん豊富である。公開文献により判明できる限りの導入状況を上記表にまとめたが、以下機種別に詳しく解説する。
MTT-25A
MTT-25A。上段は初期型と思われる個体で、タンピングユニットのフレーム形状が他機種と異なる。下段は国鉄に昭和46(1971)から納入された個体で、既に納入済であったMTT-25AK3からレベリング装置を除いた様な外観である。
上段は新線路,23巻1号,(1969,1)広告ページ掲載の芝浦製作所の広告より引用
昭和43(1968)年に登場した本機種の始祖である。タンピングユニット以外MTT-21とほぼ同一であるが、初期に製作された個体はタンピングユニットのフレームに横梁がない構造であった。
MTT-25AK(オートマルタイT-4型) 河村・篠田・中山・林・遠藤(1970.10)図1.1より引用
昭和44(1969)年よりレベリング装置搭載機であるMTT-25AKが登場し、同年以降MTT-25AK2が西武鉄道と山陽電気鉄道へ、MTT-25AK3が国鉄へ導入されている。なおMTT-25AKより2-4位側の窓が大型1枚窓となり、屋根が延長されひさしが付くようになった。この車体形状はレベリング装置の有無に関わらず以降の本機種全車に踏襲されている。昭和46(1971)年にはライニング装置搭載機であるMTT-25AKTが西武に導入され、同年10月には名鉄にも同機が導入されている。
MTT-25C
MTT-25CK5 光源の数とスリッターの形状に注目 湯本(1967)p54下段より引用
昭和46(1971)年に登場した改良型である。レベリング装置無しのMTT-25Cや私鉄向けの個体も存在するが、主にMTT-25AK3の後継としてMTT-25CK5が国鉄へ大量に導入された。
MTT-25CK5にて変更されたスリッターの形状 石原(1978.4~5)図6より引用
改良点は制動装置やタンピングユニット等各部に及ぶが、分かりやすい点であると光源車の光源が2個から枕木方向へ横移動が可能な1個に変更され、曲線部や勾配部のレベリングの際スリッタを水平に制御するスリッタ水平機構が搭載された15)他、国鉄向けの個体は前照灯の位置が3-4位側の横梁からタンピングユニットの上部に移動している。
MTT-25D
防音構造となり全体的に重々しくなったMTT-25DSK5
昭和48(1973)年に登場した更なる改良機である。従前と比べ制動装置が改良されており、ドラムブレーキからディスクブレーキへ、制動力保持用バネが油圧シリンダーへ変更されている。15)国鉄へは昭和49(1974)年に防音装備を搭載したMTT-25DSK5が導入されている。
MTT-25E
西鉄に納入されたMTT-25EKT。凸型の車体が特徴的である。
西日本鉄道株式会社『西日本鉄道七十年史』,(1978)p194より引用
私鉄向けの個体に存在する改良機である。西武にMTT-125EKT、西鉄にMTT-125EKT、京阪にMTT-125EKが導入されている。西鉄の個体は本体の形状が大きく変更され、後のMTT-35や38の様な凸型の大型車体を有する特徴的な外観となっている。25Dからの改良点については詳細不明。
■参考文献
1)石原一比古『新形電気式マルチプルタイタンパ(レベリング装置付MTT-25AK)』,鉄道線路,19巻2号(1971.2)
2)渡辺高明・長倉征輝・木村長市・川口和広『最近の自動マルチプルタイタンパ』,東芝レビュー,26巻10号(1971.10)
3)石原一比古『大型保線機械の歴史・開発とその経過』,鉄道線路,24巻10号(1976.10)
4)石原一比古 『電マルの生いたち』,新線路,32巻4~5号,(1978.4~5)
5)杉下孝治『マルタイの変遷』,新線路,35巻9号,(1981,9)
6)松田務 『腐ってもマルタイ 今、明かされるマルタイのすべて…』,トワイライトゾ~ンMANUAL5,ネコ・パブリッシング(1996)
7)湯本幸丸『写真解説 保線用機械』,交友社,(1967)
8)河村浩・篠田源治・中山泰喜・林盈司・遠藤英男『オートマルタイ』,鉄道技術研究報告,732号(1970.10)
■脚注
1)石原(1978.4~5)や杉下(1981.9)等、昭和45(1970)年に開発されたと思わせる様な書き方をしている文献が散見されるが、両者ともMTT-25Aの国鉄への導入年の事を説明しているものと思われる。湯本(1967)、秋元清『電気式マルチプルタイタンパの変遷』,新線路,25巻4号,(1971,4)、石原(1976.10)p11 (電マル)一覧表、芝浦製作所社史編纂委員会『50年のあゆみ』,芝浦製作所,(1989)p126 表5-6等、昭和43年開発と記載されている文献も多く存在するため、当記事においては本機種について昭和43年に開発された事とする。昭和43年に本機種が開発されたものの、何らかの理由により国鉄への納入が2年遅れたために、この様な誤謬が広まったものと思われる。
2)本機種のレベリング装置付で機種名が確認できる最古の個体は昭和44年10月に西武へ納入されたMTT-25AK2であるが、それ以前に存在した本機種ベースのレベリング装置付機種は、昭和44年4月に国鉄へ納入されたオートマルタイT-4型のみであり、石原(1976.10)も昭和44年に試作されたレベリング装置付電気式マルタイをMTT-25AKと紹介しているため、当記事ではオートマルタイT-4はMTT-25AKの事であると考える。
3)湯本(1967)他、板型/棒形ツールを選択できた機種と一緒に本機種を解説している文献の諸元表において、本機種から板型ツールの項の記載が無くなっている。
4)河村・篠田・中山・林・遠藤(1970.10)
5)正確な製作台数は不明である。芝浦製作所社史編纂委員会『50年のあゆみ』,芝浦製作所,(1989)p126 表5-6では168台と記載があるが、本記事で記載した表の台数の総数がこれを上回るため、芝浦製作所(1989)の信憑性は低いと考える。但し168台であっても他機種と比べて最も製作された事になる。
6)令和3年12月19日に開催された『さよなら青トロ引退記念 トロ・ロータリー車撮影会in新村』の事。軽トラック(ダイハツ・ハイゼット 6代目モデル)のボデーがトロリーに溶接されており、モータカーに連結の上後方監視トロリーとして使用していた模様。なお平成9(1997)年の時点で同線への在籍が確認できる。
7)杉下(1981,9)
8)大沢白水・小山宗次『バラストクリーナーによる道床更換』,鉄道線路,22巻7号(1974.7)表2
9)山陽電気鉄道株式会社社史編集委員会『山陽電気鉄道65年史』(1972)p226
原文ではMTT-25AK2と記載があるが、標準軌仕様のMTT-125AK2が正であると考える。
10)京浜急行電鉄株式会社『80年の歩み』(1978)p41に写真の記載があるが、光源車の光源が2個であるのでMTT-25AKの派生機種であると考える。
11)城田九一『京浜急行・保線の現状と展望』,鉄道線路.23巻11号(1975.11)
12)大島弘・小森亮二・𠮷川長世・川瀬泰男・大岩一三・市川暢彦・柚原誠・村手光彦・木村亮・加藤俊弘『大型マルタイの防音について(中間報告)』,名古屋鉄道株式会社研究報告,18巻(1973)
13)皿谷寿朗『京王帝都電鉄の保線の保守体制』,鉄道線路,25巻3号(1977.3)表5,p144 および 藤田吾郎『縁の下の力持ち 京王帝都電鉄の保線機械たち』,トワイライトゾ~ンMANUAL4,ネコ・パブリッシング(1995) 藤田(1995)によると昭和59(1984)年まで在籍していたとの事。
14)石原(1978.4~5)や杉下(1981.9)
15)M51型マルタイテスト推進委員会『M51型マルタイ』.名古屋鉄道株式会社研究報告,28巻(1983)
16)村手光彦・大島弘『名古屋鉄道における保線の合理化と将来構想』,鉄道線路,21巻5号(1973.5)では”大型マルタイ(MTT-25AK)を昭和45年から47年まで3機導入している”と記載があるが、同文献の表2にはMTT25-CKTを3台保有と記載がある。おそらく昭和46(1971)年に先行して導入されたMTT-25AKT1台と、MTT-25CKT2台の計3台を昭和47(1972)年までに導入したものと思われる。この台数であれば、M51型マルタイテスト推進委員会(1983)本文中記載の、昭和58(1983)年当時の保有台数と矛盾しない。
17)浅田義雄・飯田敏『京阪電気鉄道の線路管理』,鉄道線路,28巻9号(1980.9)表3
18)吉村隆次『線路と保線』,鉄道ピクトリアル,39巻9号,(1989.9)