B 80・B 85

JR九州のBMNRI 85
防音カバーを装備し、後部にバラストスイーパーを連結している

 


 

B 80B 85はMATISA製のマルチプルタイタンパーである。

 

■概要

(1)B 80

東海道新幹線のBMNRI 80

B 80はB 60の後継機種に当たる。これ以降のMATISA製マルタイはレベリング機能が標準搭載となった。車体そのものはB 60の形状を引き継いでいるが、最大の特徴は、固定式のアーチングビームが前方へ長く伸びる形状となったことである。BN 60・BNR 60ではレールを車体ごとジャッキで持ち上げることでレベリング作業を行っていたが、このジャッキが道床肩を沈下させたり、駅構内の構造物と支障したりするため問題となっていた1

 

BNI 80の側面図
フロントブームアクスル(Bi)と走行用車輪がレールを押さえ、レールクランプ(B)が持ち上げる
永崎(1971)より

B 80ではこのジャッキが廃止され、アーチングビームを用いてレベリング作業をする方式に変更された。検測の仕組みはBN 60・BNR 60とほぼ同じだが、こう上する際はアーチングビーム先端のフロントブームアクスル(前方支持車輪)がこう上する地点の前を押さえつけ、アーチングビーム下のシリンダー付きタイパーが伸縮してそれを補助する。また、こう上する地点の後ろ側は走行用車輪により自重で押さえる。そして、タンピングツールの前には上下動するジャッキ付きレールクランプがあり、これがレールを正規の高さまで掴み持ち上げることでレベリングする、という仕組みに変更された2)

 

延長スタビライザー(左)使用中の様子
阪急電鉄株式会社編『75年のあゆみ:写真編』,1982年,阪急電鉄,カラー写真pより

レベリング時の検測方法にも改善が加えられており、アーチングビームの先に延長スタビライザーを装備することで誤差を小さくできるようになった。また、前後のレールの高さから割り出した相対基準によるレベリングだけでなく、手動設置型テレスコープを使った光学式測定による絶対基準レベリングにも対応している3)

 

ライニング機構図(本図はB 85のものだが、基本構造は同じである)
大橋 正義「マルタイBMNRI-85通り整正装置の活用」『新線路』34巻3号,1980年,pp.12-14より

またライニングについても基本的な検出・整正の仕組みはBN 60・BNR 60と同様であるが、ライニングローラー(整正ローラー)を用いる方式に代わっている。

 

ダブルヘッド化されたタンピングユニット
日本鉄道施設協会(1969)より

さらに、B 80より2丁づきダブルヘッド)機が登場したのも大きな特徴である。従来のマルタイは枕木1本分のタンピングユニットしか搭載していなかったが(1丁づき・シングル機)、ダブル機はタンピングユニットを前後に2つ並べて搭載しており、マクラギ2本分を同時につき固めできるように進化し、より作業効率が上がった4)

 

(2)B 85

向日町にいたBMNI 85
ライニング機能が無いタイプは初期に
導入されたと推測され、防音カバーもない

 

BMNRI 85の側面図
白井(1978)より

B 80は比較的短期間で更なる改良型のB 85へ移行した。車体全体が長い屋根で覆われ、トランスミッションチューブがその中へ格納された点が外観上の特徴である。また運転室の形状が見直されて視界が拡大した。その他の構造は、レベリング・ライニングの仕組みを含め基本的にB 80のものを継承しているが、ライニングローラーなどの形状が変更されているほか、各種操作がより簡単にできるよう改良が加えられている5)

 

山陽新幹線のBMNRI 85
タンピングユニットとエンジン周辺に防音カバーを取り付けている

本型式はスタンダードから続くMATISA製の2軸車型機械式マルタイの完成系と言えるものであり、国鉄では新幹線・在来線問わず1970年頃から大量配備され、私鉄各社にも広く導入された。初期に製造されたものはタンピングユニットやエンジン部がむき出しであった。このため沿線住民に対する騒音公害が各所で問題となり、防音改造を受けた事例も存在する。またメーカーでも次第に防音カバーを搭載したタイプが造られるようになり、日本市場向けのB 85防音仕様は、約100台も生産されたという6)

 

■分類と識別

B 80・B 85ともに、装備の違いによって以下のタイプに細分化されている。

シングル機 ダブル機
ライニング機能なし BNI 80 / BNI 85 BMNI 80 / BMNI 85
ライニング機能あり BNRI 80 / BNRI 85 BMNRI 80 / BMNRI 85

屋根の長さを見ればB 80またはB 85のどちらか識別できる。タンピングユニットがダブルヘッドであれば形式にM[Multiple]が付く。

 

ライニング機能の有無の識別点
撮影:まさ405(許可を得て撮影)

ライニング機能を持つ場合は R[Ripeuse]が付与される。ライニング機能の有無は(1)タンピングユニットの手前にライニングローラーがあるか、(2)アーチングビームの根元に支柱シリンダーがあるか、(3)車体後部に検測トロリーがあるか、の3点で識別できる。

レベリング機能は全てのタイプが持つため、全種にN[Niveleuse]が付く。Iは[Independant](つき固め/レベリング/ライニングを独立して作業可能)の意で、こちらも全種に付与される7)

 

■運用

B 80は生産期間が短く、日本に輸入された数もそれほど多くはない。国鉄では1966年度にBNRI 80が登場したのを皮切りに、1969年度までにBNI/BNRI/BMNI/BNMRIの4タイプ計8台が導入されたという8)。また私鉄ではBNRI 80が京阪・阪急・南海に3ないし4台が導入されたほか、軌道会社では日本機械保線がBMNRI 80を2台を導入している。

 

水タンクらしきものを装備した東海道新幹線のBMNRI 85
大量に導入された機種のため、本機のように改造を受けた個体も多かった

世界的ベストセラー機であるB 85は日本にも大量に輸入された。国鉄は1968年度よりBNI/BNRI/BMNI/BNMRIの各タイプを導入したが、このうち最も多かったのはBNRI/BMNRI 85であったという。1981年度の時点で各タイプ計157両が配備されており、同じく1970年代より導入されたPlasser & Theurer製07形と共に国鉄の主力保線機械として活躍した9)

 

後部にバラストスイーパー(芝浦製作所BC-2)を連結したB 85

ところが、初めて全国的に導入された機械式重マルタイということもあってか、当初は各所でオペレーターの養成や作業人員・作業間合いの確保が間に合っておらず、稼働率の低い状態が続いた。中にはほどんど使用されていない例も見られたため、その非効率さを1973年度と1977年度の2度に渡り会計検査院から指摘される有様であった10)。これを受けてか、国鉄ではバラストスイーパーとの組み合わせ化や1支区1マルタイ化などのマルタイ効率化施策が進められた。また管理局単位で使用するマルタイの機種統一が図られ、MATISA製1981年度の時点で新潟・水戸・高崎・東京北・東京西・東京南・金沢・大阪・天王寺・門司の各局(および新幹線)への集中配備に変更となっていた11)。こうした効率化施策により、1974年度には2,940kmであった国鉄の年間つき固め延長は、1983年度には24,700kmと10倍近くに上昇したという12)。国鉄民営化後も多くのB 85がJR各社に引き継がれている。

 

東武におけるテレスコープを用いたBNRI 85のレベリング作業風景
東武鉄道株式会社編『写真で見る東武鉄道80年:明治、大正、昭和三代の変遷』,1977年,東武鉄道,p.154より

また国鉄・JR以外においては、これまでMATISA製マルタイを使用していた東急・近鉄のみならず、B 85から機械式マルタイの導入に踏み切った事業者が多い。例えば、それまで電気式マルタイのみを保有していた東武鉄道は、1971年からBNRI 85を計6台も導入している。そのうち最後の1台は1982年製であるが、当時は既に後継機種のB200が登場しており、B 85の製造例として最末期の例であった13)

また80年代以降、第3セクター鉄道が国鉄やJRからB 85を譲受したと思われる例も見られる。日本機械保線もB 85を自社保有していたほか、変わった例では新日本製鉄君津製鉄所でも構内鉄道の保線に使われたという14)

 

のと鉄道に現存するBNRI 85
比較的末期の作例で、この機も防音カバーを装備している

 

のと鉄道BNRI 85の稼働風景
(MATISA公式映像)

B 85は1970年代から1980年代にかけての代表的な保線機械として広く知られた存在であったが、1990年代以降は新型機種との交代が進んだ。国内で現存が確認されているのは、のと鉄道が保有するBNRI 85の1台のみである。

 

日本に導入されたB 80・B 85のうち、現在判明しているものは以下の通り。

事業者 機種 導入年と台数 備考
国鉄 各タイプ合わせて157台 1981年度現在15)
東武 BNRI 85 1971年:2台
1972年:2台
1973年:1台
1982年:1台
16)
京成 BMNRI 85 1972年までに1台 17)
東急 BMNRI 85 1970年:1台 のち東急軌道工業へ移管18)
小田急 BMNRI 85 1970年:1台
1972年:1台
19)
東京都 BNRI 85 1978年:1台 浅草線用20)
相鉄 BNRI 85 1974年:1台 21)
近鉄 BNRI 85 1972年:3台 22)
BMNRI 85 1973年:1台
1974年:1台
京阪 BNRI 80 1969年:1台 23)
阪急 BNRI 80
BNRI 85
1968年と1969年に合わせて3台 24)
南海 BNRI 80 1968年:1台 25)
BNRI 85 1970年:1台
1971年:1台
のと BNRI 85 導入年不明:2台 JRからの譲受機とみられる
1台のみ現存
松浦 タイプ不明
(B 85)
導入年不明:2台 国鉄/JRからの譲受機とみられる
第一技術開発 BMNRI 85 1992年:1台 JR東日本からの譲受機
(1979年9月製・製番4452)
京福電鉄福井支社→えちぜん鉄道用26)
日本機械保線 BMNRI 80 1969年:2台 このほか2台存在した可能性あり27)
BMNRI 85 1971年:1台
1979年:1台
BNRI 85 (下記の不動建設保有機の譲受)
不動建設 BNRI 85 1971年:1台 新日鉄君津製鉄所用
1975年に日本機械保線へ譲渡28)

 

■諸元

代表的な諸元は以下の通り29)

タイプ BNI 80 BNRI 80 BMNI 85 BMNI 85
全長 18.3[m] 18.5[m] 16.8[m] 16.8[m]
全幅 2.5[m] 2.5[m] 2.8[m] 2.8[m]
全高 3.1[m] 3.1[m] 3.3[m] 3.3[m]
自重 23.5[t] 24.5[t] 28.0[t] 28.0[t]
作業能力 250~300[m/h] 250~300[m/h] 450~500[m/h] 450~500[m/h]
タンピングツール 1丁づき16頭 1丁づき16頭 2丁づき32頭 2丁づき32頭
ツール振動数  2160[rpm]
エンジン GM-V71 N 7063-7000 180[PS]/1800[rpm]
自走速度(回送時) 80[km/h]

 

■脚注・文献

1)日本鉄道施設協会「改良されたマチサマルタイ(BNRI-80)」『鉄道線路』15巻3号,1967年,グラフp.

2)白井 国弘『保線機械の取扱と事故防止:マルチプルタイタンパ』1973年,アース図書.永崎 祐之「怪物マルタイ出動:深夜の保線作業」『鉄道ジャーナル』5巻7号,1971年,pp.27-35.

3)白井,前掲2.永崎,前掲2.後者の記事中でBMNRI 80の延長スタビライザー(格納状態)と光学式測定の様子を確認できる.

4)日本鉄道施設協会「新しく輸入されたダブルヘッドマルチプルタイタンパ」『鉄道線路』17巻6号,1969年,グラフp.

5)白井,前掲2.保線機械研究グループ編『保線機械便覧』1978年,日本鉄道施設協会.湯本 幸丸『写真解説保線用機械(改訂増補5版)』1980年,交友社.

6)伊藤 宏「保線機械の騒音対策」『JREA』18巻10号,1975年,pp.23-28.松田 務「腐ってもマルタイ:今、明かされるマルタイのすべて…」『トワイライトゾ~ンMANUAL』5号,1996年,pp.190-209.Construction Cayola『Les bourreuses Matisa : 75 années d’innovation』https://www.constructioncayola.com/rail/grands-formats/2020/10/13/130523/grand-format-les-bourreuses-matisa-75-annees-innovation(2023/04/25取得).

7)石原 一比古「マルタイのいろいろ」『新線路』30巻9号,1976年,グラフp.白井 国弘「マチサ・マルタイを動かしてみよう」『新線路』32巻7号,1978年,pp.38-42.湯本,前掲2.

8)杉下 孝治「マルタイの変遷」『新線路』35巻9号,1981年,pp.9-13.

9)白井,前掲2.杉下,前掲8.

10)関根 伊三郎・角島 廉・須藤 晋「マルチプルタイタンパの軌道強化工事への活用について」『会計検査資料』234号,1985年,pp.11-19.

11)小倉 賢治「マルタイの概況」『新線路』41巻10号,1987年,pp.24-28.杉下,前掲8.

12)関根・角島・須藤,前掲10.

13)東武鉄道(株)工務部保線課「線路と保線」『鉄道ピクトリアル』40巻臨時増刊号,1990年,pp.49-50.松田,前掲6.東武鉄道年史編纂事務局編『東武鉄道六十五年史』,1964年,東武鉄道.

14)構内の保線を受託していた不動建設が保有しており,さらに作業は日本機械保線が受託していた.しかし鉄鋼需要の増大で作業間合いが取れなくなり,のちに日本機械保線へ譲渡されている.日本機械保線株式会社『20年のあゆみ』,1987年,日本機械保線.

15)杉下,前掲8.

16)東武鉄道(株)工務部保線課,前掲13.

17)日本機械保線株式会社,前掲14.

18)雨宮 功「線路と保線」『鉄道ピクトリアル』35巻臨時増刊号,1985年,pp.44-46.鈴木 忠治・河合 徹「東急電鉄における保線の近代化および踏切道の対策」『鉄道線路』21巻6号,1973年,pp.40-44.高橋 英樹「東京急行電鉄 裏方の作業車たち」,「立入厳禁」編集委員会編『立入厳禁』,1999年,pp.70-78.

19)小田急電鉄『小田急五十年史』,1980年,小田急電鉄.

20)高根 純夫「東京都地下の保守」『鉄道線路』27巻8号,1979年,pp.38-41.

21)町田 宏志「線路と保線」『鉄道ピクトリアル』36巻8号,1986年,pp.29-31.

22)河村 猛・出口 俊和「近鉄のマルタイ作業」『新線路』41巻10号,1987年,pp.19-21.

23)芝 完次「京阪電気鉄道の省力化・経費節減について」『JREA』31巻10号,1988年,pp.29-33.

24)京阪神急行電鉄総務部「京阪神急行電鉄株式会社」『鉄道ピクトリアル』20巻3号,1970年,pp.4-10.藤原 彰 「阪急電鉄における省力化・経費節減について」『JREA』31巻6号,1988年,pp.34-38.

25)塩見 猛「南海電鉄の保線の現状」『鉄道ピクトリアル』29巻臨時増刊号,1979年,pp.124-125.

26)岡本 英志「京福電気鉄道福井鉄道部」『鉄道ピクトリアル』51巻5(増刊)号,2001年,pp.107-116.笹田 昌宏「京福電鉄の保線車両」『鉄道ピクトリアル』45巻11号,1995年,p.111.

27)日本機械保線株式会社,前掲14.

28)日本機械保線株式会社,前掲14.

29)白井,前掲2.保線機械研究グループ編,前掲5.湯本、前掲5.

 

 


 

■BMNRI 80

 

■BMNI 85

 

■BNRI 85

 

■BMNRI 85

 

■タイプ不明