日本車輛製造の休憩車

 


 

本項では日本車輛が製造したSC-GC型休憩車について述べる。

 

■概要

SC-GC型休憩車は1978年に製造された東海道新幹線向けの休憩車である。本車はスペノ製レール削正車RR675に組み込むため製作された。

車内は前後がデッキ、中央が寝台となっており、保守用車というよりは当時の寝台客車に近い雰囲気である。

銘板は3種貼られている。RR675は1台しか導入されなかったため、SC-GCも製番01のみの存在と思われる。また販売元の日熊工機は日車と熊谷組の合弁企業で、その2社が製造した保守用車や産業ロコ、建機などの販売を手掛けていた。

台車はFU-12HTを装備していた。FU-12系列は高速走行に対応した一軸台車で1)、本車も70km/hでの走行が可能であった。

資産管理コード(国鉄機械番号)銘板の内容は、98が新幹線総局経理部、08が土木機械、20が軌道用機械、12が波状摩耗削正機を示している2)。SC-GCは削正車の付属品と扱われ、独立した分類を与えられなかったことが分かる。

 

■RR675とSC-GCの導入

国鉄時代、東海道新幹線は名古屋地区での騒音が問題となっていた。騒音を軽減させるため保守用車によるレール削正が計画され、1974年に導入されたのがRR675であった。長期間に渡って試験を重ね、その結果を元に防音・防塵改造を施されたのち、1978年から浜松レールセンターに配置され、東京・新大阪間で運用が開始された3)

RR675
レール削正車RR6754)

RR675は登場当初、前掲の写真のように3両編成であった。ところが1978年以降の文献5)からは、SC-GCが間に挿入された4両編成となっている。なおRR675にはバッファを装備しているため、SC-GCにも連結器左右にバッファ受けらしきものが確認できる。


レール削正車RR675と連結されたSC-GC6)
塗装はRR675に合わせ、黄色に上下のみ黒を配している

SC-GCが組み込まれた後のRR675編成図7)

SC-GCの導入について確たる理由を述べた文献は見つかっていないが、考えられる理由の一つとしては、レール削正車特有の運用方法にあると思われる。削正車の利用には高度な操作技術を持ったオペレーターが必要となる。RR675は東京・新大阪間の広い区間を1台のみで担当しており、専門のオペレーターと共に移動しながら作業していた8)。1970年代の社会状況においては、宿舎やホテルが近くにある状況ばかりとも限らず、SC-GCは宿泊場所を確保できない場合に備えて導入されたのではないかと思われる。なお、RR675自体にも休憩室や調理場が備わっていた。

 

■運用と現状

SC-GCは浜松レールセンターに配置され、1978年の本格的なRR675運用開始と共に運用を開始したと思われる。削正業務は1984年に日本機械保線へと委託されてたのち、RR675は1990年まで使用され、後継の削正車であるスペノRR24に置き換えられた9)。SC-GCもその頃まで用いられたのではないかと推測される。その後、車体のみが貨車・荷物車とともに浜松市内の製麺業者に払い下げられ、現在でも倉庫として利用されている。

 

■脚注

1)図書館のyasu「猫でもわかる! 2軸車の高速化と1軸台車」『交通表象』7号,2021年,pp.41-52.
2)日本国有鉄道総裁室文書課編『鉄道法規類抄:第6編経理(下)1』日本国有鉄道総裁室文書課,1966年(最終加除1986.7).
3)加藤 高志「新幹線のレール波状摩耗削正機」『新線路』30巻9号,1976年a,pp.16-17.加藤 高志「レール波状摩耗削正機」『鉄道線路』24巻10号,1976年b,p.24.日本機械保線株式会社『40年のあゆみ:1967-2007』日本機械保線,2007年.
4)鉄道現業社編『新線路』30巻5号,1976年,写真p.
5)例えば、芳賀 隆一「レール削正車(スペノ)の使用」『鉄道線路』26巻6号,1978年,pp.4-7,など.
6)湯本 幸丸『写真解説保線用機械(改訂増補第5版)』交友社,1980年,p.126.
7)湯本1980,前掲6,p.127.
8)小畑 保雄「スペノによるレール削正の実状とその効果について」『鉄道線路』28巻2号,1980年,pp.19-25.
9)日本機械保線株式会社2007,前掲3.

 


 

■SC-GC