3 CB 5

写真:3 CB 5バラストクリーナー(ヤ100)
日本鉄道技術協会「軌道保線機械のいろいろ」『JREA』9巻3号,1966年,写真p.より

 


 

3 CB 5は、MATISA製の道床交換作業車である。再使用可能なバラストを篩い分ける機能を持つためバラストクリーナーとも呼ばれる。

本機種は日本国鉄において「車両」として扱われたが、実際には保守用車メーカーが設計・製造した保守用機械であり、本DBの掲載対象とする。

 

■概要

本機種は、日本で初めて導入されたオンレール式の道床交換作業車であった。

 

3 CB 5の広告
Simmons-Boardman Publishing Corporation『Railway Track and Structures』50巻7号,1954年,pp.4-5.より

バラスト道床は列車が通過するたび砕かれたり土砂が混ざるなどして、クッションとしての役割が低下したり、軌道が狂ったりしていく。そのため、劣化したバラストは掻き出して交換する必要がある。スクレイパーチェーンを用いてマクラギ下のバラストを掻き出す方式の道床交換作業車は、1927年にスイスのCharles-Auguste Scheuchzerが世界でも最初期に実用化した。第2次大戦後、Scheuchzerの生み出した保線機械の権利はMatériel Industriel S.A.(MATISA)が取得し、改良を重ねて1950年代に3 CB 5が開発された。なお、形式名のCはおそらく仏語のCribleuse(篩い分け機)を指しており、BはBogies(ボギー式)の意である1)

 

線路外に旧バラストを排出する3 CB 5バラストクリーナー(ヤ100)
日本鉄道技術協会「保守の近代化」『JREA』10巻11号,1967年,写真p.より

日本国鉄は1956年に3 CB 5バラストクリーナーを3800万円で1台購入し、同年6月にこれを田端機械軌道区へ配置した2)。国鉄におけるMATISA製機械の導入は、スタンダード形マルタイに次ぐ2機種目の例となった。導入に際し、台車と連結器は日本国内で調達され、大宮工場にて輸入された本体と組み合わされた3)。なお本機は国鉄内部において、機械扱いとするか車両扱いとするかで議論があったが、最終的に全体を車両扱いとし作業機部分のみ機械軌道区で保守することに決まり、1958年に形式ヤ100形ヤ100号の名称が与えられた4)

 

■構造

3 CB 5の概要図
画像左が作業方向である
北沢 秀勝「バラストクリーナー」『交通技術』11巻8号,1956年,pp.38-40.より

このバラストクリーナーは、ボギー台車で支持された台枠上に、スクレイパーチェーンやコンベアなどを備えた作業機部と、エンジンや発電機などを備えた運転室部が搭載された構造となっている。

 

スクレイパーチェーン(左)と散布コンベア(右)
鉄道日本社「保線の新鋭機バラストクリーナ」『施設教育』9巻8号,1956年,グラフp.より

作業前にまず、バラストをかき出すスクレイパーチェーンとそのガイドを、マクラギ下へ左右から挿入して繋げる。また、作業方向の前方にワイヤーを伸ばしてレールに固定する。

作業を開始するとウインチがワイヤーを巻き取って車体が前進し、チェーンがマクラギ下のバラストを掻き出す。掻き出された旧バラストはコンベアを伝って篩い分け装置(振動篩)に掛けられ、再使用可能なものと廃棄するものに選別される。再使用可能なバラストは散布コンベアから軌道上に再散布され、廃棄するバラストはウェストコンベア(排出コンベア)から線路外や貨車上に排出される、という仕組みである。旧バラストを篩い分けせず全て排出することも可能である5)

車体前後には荷重の変化を調整する補助担車があり、作業中に荷重を制御できる。スクレイパーチェーンには無理な力が掛かると自動停止する安全装置が用意されている。また、ジャッキアップして直行式横取装置上に横移動する機構も備えている。なお、本来は回送時に自走するための電動機と駆動装置も装備しているが、国鉄ではそれらを取り付けず、モータカーや機関車で牽引し運用していた6)

 

緑色で着色された本機のイラスト
学習研究社『小学生のたのしい科学』1巻1号,1957年,pp.18-19.より

なお塗装は、輸入直後は当時のMATISAメーカー標準色である緑だったと推定され7)、その後は黄色に変更された8)

 

■運用

1.単線式軌道更新法の模索

3 CB 5バラストクリーナー(ヤ100)は、国鉄が実用化を目指していた単線式軌道更新法の試験に用いられた。

1950年代の国鉄における道床交換作業は、線路をいったん撤去して劣化した旧バラストを隣接線に並べた貨車に積み込み、新バラストも隣接線の貨車から散布するという、同時に2本の線路を使用する工法で行われていた(複線式軌道更新法)。しかしこの工法は、隣接する2線で同時に最低3時間の列車間合いを夜間に確保する必要があった。この条件に適合するのは、都市部の電車のみが走行する区間や、幹線のうち夜間の列車が同じ時間帯に集中する東京・大阪の起終点駅周辺に限られていたのである9)

このため、東海道本線のような夜間でも多くの列車が走行する路線で道床交換作業を行う工法として、バラストクリーナーを用いて1線のみで作業し、もう1線を臨時の単線区間として列車を通す方式(単線式軌道更新法)が発案された。

 

単線式軌道更新法の概要図
根来 幸次郎『鉄道保線施工法:最新土木施工法講座 第14巻』,1959年,山海堂,p.126.より

単線式軌道更新法の流れは以下の通りである10)

  1. 道床を交換する同一の線路上にバラストクリーナー・バラスト中間車・コンベア付きホッパ車・電源車・機関車からなる編成と、軌道こう上機(ジャックオール)11)・マルタイを入線させる。ホッパ車は1両のみ空車、その他には新バラストを積載する。
  2. バラストクリーナーを編成から切り離し、スクレイパーチェーンを組み立てて作業を開始する。バラストクリーナーの前進に合わせて、残りのホッパ車編成も機関車で適宜前進させる。
  3. 掻き出した旧バラストはウェストコンベア、バラスト中間車、ホッパ車の上部コンベアを経由して空車のホッパ車へ送る。
  4. また新バラストは逆に、ホッパ車の下部コンベアからバラスト中間車を経由してバラストクリーナーの散布コンベアへと送り、線路上へ散布する。空車となったホッパ車は旧バラストの積み込みに順次切り替える。
  5. 道床交換が終了したら軌道こう上機で線路の高低・水準を整正(レベリング)し、マルタイで仕上げる。

 

2.軌道更新用機械の開発

そして、単線式軌道更新法を実現するために、バラストクリーナーと共に使用する以下の車両が製作された。

 

【ホキ200形ホッパ車(のちホキ350形に改称)】


上下に3本のコンベアを持つ
村井 健三「事業用貨車(その4):単線式バラスト交換工事用職用車(1)」『車両と電気』23巻8号,1972年,pp.27-29.より

ホッパの上部中央に旧バラスト積み込み用コンベアを、下部の左右に新バラスト送り出し用コンベアを持つ特殊なホッパ車である。1957年9月に2両が新三菱重工業で、1961年度に5両が国鉄浜松工場で製作された12)

 

【ヤ150形バラスト中間車】

最上部のコンベアはバラストクリーナー側に伸ばして使用する
日本鉄道技術協会「軌道保線機械のいろいろ」『JREA』9巻3号,1966年,写真p.より

連結していない状態のバラストクリーナーとホキ200双方のコンベアを繋ぎ、バラストを中継する機能に特化した車両である。新旧バラストの流れを上下入れ換えて受け渡す。ホキ200より約1年遅れて1958年12月に1両が新三菱重工業で制作された13)

 

【クム1形代用電源車(のちヤ50形に改称)】

馬車運搬車時代に使われた観音開きの妻面を活かし、発電機が搭載されている
日本鉄道施設協会「国鉄保線の新鋭重機バラスト積かえ機」『鉄道線路』8巻6号,1960年,写真p.より

ホキ200とヤ150専用の電源車で、2両が用意された。皇室用馬車運搬車を出自とする有蓋車運車で、形式を変更せず車内に発電機を設置して使われていたが、1965年にヤ50形ヤ50・51号へ改称された14)

 

単線式軌道更新法に用いられた編成
この写真では左から電源車(クム1)、ホッパ車(ホキ200)×2、バラスト中間車(ヤ150)、バラストクリーナー(ヤ100)の順で並んでいる
篠原 良男「単線式軌道更新(道床更新)作業」『鉄道線路』7巻7号,1959年,グラフp.より

完成した道床交換作業編成は1959年3月18・19日に東海道本線茅ケ崎~平塚間で初の試運転が行われ15)、その後も試験が繰り返された。単線式軌道更新法は1時間当たり100mの施工能力があり、これは複線式と比べて2~3倍もの効率であった。しかしこの工法では、ホキ200を新バラスト積み込み場→作業現場→旧バラスト捨て場の間で三角輸送し続ける必要がある。作業回数を増やすにはホキ200の編成を複数用意する必要があるが、複雑な機構を持つホキ200は大変高価であり、容易に増備できるものではなかった16)。このため、新旧バラストは別の貨車で輸送し、作業現場近くでホキ200に積み換えることで、ホキ200を増備せずに作業回数を増やすことが計画された。そして積み換え作業の専用機械として、1960年にバラスト積換機が新三菱重工業で製作された17)

 

【バラスト積換機】



(上)バラスト中間車(ヤ150)と組み合わせた状態のバラスト積換機
(下左)ホキ100から新バラストを受ける様子
(下右)無蓋車上に旧バラストを排出する様子
日本鉄道施設協会「国鉄保線の新鋭重機バラスト積かえ機」『鉄道線路』8巻6号,1960年,写真p.より

この機械はバラスト中間車ヤ150と組み合わせて使用し、ホキ200の下部コンベアから排出された旧バラストを隣接線上の有蓋車に排出する。また新バラストはホキ100形ホッパ車18)によって輸送し、同じく隣接線上からバラスト積換機が受け取ってホキ200へと送る仕組みであった。なお、このバラスト積換機は側線内のみで使用するという理由で「車両」ではない機械扱いとされた。

 

3.新工法の挫折とその後

バラストクリーナー(左奥)からホキ200上へ排出されていく旧バラスト
伊能 忠敏「新しい型の砂利散布車」『新線路』12巻1号,1958年,グラフp.より

こうして新工法のための機械が次々と開発され、その主役を担うこととなった3 CB 5(ヤ100)であったが、華々しく活躍し続けることは出来なかった。

本機最大の弱点は、作業時の騒音が激しいことであった。線路沿いに民家が多く、かつ夜間の施工となる日本の作業環境には適しておらず、沿線住民から騒音公害に対する強い抗議が寄せられたのである。そのため、バラストクリーナーが使用可能な区間を限定せざるを得なかった19)

また、せっかく確立した単線式軌道更新法にも問題点が多かった。結局のところ、単線式でも夜間の数時間しか間合いを確保できないのでは、大型機械の出入りや据え付けに多くの時間を取られて能率が上がらなかった。さらに、この工法では単線運転のために臨時の自動信号システムを用意していたが、設置費用が高く、作業区間変更の度に信号を移し替える手間も大きかった20)

その後、3 CB 5(ヤ100)は徐々に活躍の舞台を失っていったようである。本機を除いた軌道更新用機械たちは1966年頃に尼崎機械軌道区へと移動してしまった。これらは兄弟機種である8 CB 5(ヤ110)と共に3年間ほど単線式軌道更新法に用いられが、ホキ350(旧ホキ200)の運用に必須となる新旧バラスト積み換え基地(2線並んだ約200mの側線)を確保していくことが困難であったため、この工法は関西地区でも断念せざるを得なかった21)。なお、単線式軌道更新法とほぼ同様の工法がNBS編成により東海道新幹線にて達成されるのは、2000年代に入ってからのことであった。

結局、国鉄は3 CB 5(ヤ100)の性能を活かしきれず、うまく運用することが出来なかった。本機は1974年の時点ですでに休車となっており、長らく田端で留置されたままになっていたという22)。廃車は1981年度であったが、これは他の軌道更新用機械たちや8 CB 5(ヤ110)よりも遅かった。

 

■諸元

以下は国鉄に導入された個体の諸元である23)

全長 14600[mm]
全幅 2575[mm]
全高 3705[mm]
自重 41.1[t]
掘削深さ(マクラギ下面より) 200~500[mm]
掘削幅 3870~4035[mm]
バラスト処理能力 100~200[m^3/h]
作業速度 40~200[m/h]
回送時牽引速度 60[km/h]
エンジン GM 150[PS]/1400[rpm]
発電能力 100[kVA]/50~400[V]

 

■文献

1)Construction Cayola『Dégarnisseuses-cribleuses : 75 ans à avaler du ballast !』https://www.constructioncayola.com/rail/grands-formats/2020/12/17/131608/grand-format-degarnisseusescribleuses-75-ans-avaler-ballast(2024/04/15取得).

2)北沢 秀勝「保線用重機バラストクリーナーの出現」『新線路』10巻8号,1956年,グラフp.鉄道現業社「日本に唯一バラストクリーナ到着」『新線路』10巻7号,1956年,p.47.

3)村井 健三「事業用貨車(その4):単線式バラスト交換工事用職用車(2)」『車両と電気』23巻9号,1972年,pp.33-35.

4)車輌工学社「バラストクリーナー(ヤ100号車)の回送手続」『車輌工学』27巻1号,1958年,pp.23-25.

5)北沢 秀勝「バラストクリーナー」『交通技術』11巻8号,1956年,pp.38-40.

6)北沢,前掲5.村井,前掲3.

7)MATISA社によるスタンダード復元保存車(hellertal.startbilder.de『Eine historische Matisa Stopfmaschine, die 1te Standard Stopfmaschine auf dem Markt, ausgestellt auf der iaf 2022 in Münster』https://hellertal.startbilder.de/bild/schweiz~bahndienstfahrzeuge~planier–und-stopfmaschinen-normalspur/777045/eine-historische-matisa-stopfmaschine-die-1te.html(2024/04/16取得).)の塗装や、フィンランド・トイヤラ機関車博物館におけるB 27保存車復元時の考証(Matisa-projekti『Värin valinnan vaikeus ja pintamaalauksen helppous』https://matisa-projekti.blogspot.com/2011/07/varin-valinnan-vaikeus-ja.html(2024/04/16取得).)に基づく。

8)1959年の時点で明色に変更された本機が撮影されており(例えば、村山 煕「保線機械化の話(3)」『交通技術』14巻10号,1959年,pp.36-39.など)、おそらく車両としての形式を与えられた頃に塗装変更されたのではないかと思われる。

9)篠原 良男「単線式軌道更新法」『交通技術』12巻12号,1957年,pp.32-35.村山 煕「単線式軌道更新法」『交通技術』14巻6号,1959年,pp.14-15.

10)篠原 良男「単線式軌道更新」『鉄道線路』7巻7号,1959年,pp.34-38.根来 幸次郎『鉄道保線施工法:最新土木施工法講座 第14巻』,1959年,山海堂.

11)軌道こう上機(ジャックオール)は、線路をレベリングし仮固定する機械である。当時のマルタイはレベリング機能を持っていなかったため、レベリングはマルタイ作業前に人力か軌道こう上機を使用して行われていた。村山 煕「保線機械化の話(2)」『交通技術』14巻9号,1959年,pp.36-39.

12)車両電気協会「ホキ200形式の落成」『車輌と電気』8巻11号,1957年,p.3.村井 健三「事業用貨車(その4):単線式バラスト交換工事用職用車(1)」『車両と電気』23巻8号,1972年,pp.27-29.吉岡 心平『無蓋ホッパ車のすべて(下)』,2012年,ネコ・パブリッシング.

13)新三菱重工業株式会社「道床更新作業と作業用車両」『JREA』3巻8号,1960年,pp.50-51.日本鉄道技術協会「道床更新に新威力」『JREA』2巻2号,1959年,p.47.

14)村井,前掲12.吉岡 心平『黄帯を巻いた貨車』,2018年,ネコ・パブリッシング.

15)車輛工学社「ヤ150とホキ200の試運転」『車輛工学』28巻5号,1959年,p.41.

16)村山 煕「バラスト積換機」『新線路』14巻6号,1960年,グラフp.

17)新三菱重工業株式会社,前掲13.

18)ホキ100形(のちホキ300形へ改称)は本来、複線式軌道更新法で隣接線にバラストを散布するために開発された貨車である。バラスト排出口にトリンマー(コンベアでバラストを横に飛ばす装置)を備えていたため、この装置を用いてバラスト積換機へ新バラストを渡す役を担うこととなった。のちに、新幹線用道床交換作業車であるRM 62と共に使用するため、1968年中頃までに全車が新幹線用へと改造された(RM 62記事の脚注7を参照のこと)。おそらく単線式軌道更新法はこの時点で諦められていたと考えられる。なお国鉄はRM 62も活用に失敗したため、ホキ100は道床交換作業車に振り回された悲劇の形式と言える。

19)伊能 忠敏「機械化保線の技術発達とその問題点」『JREA』22巻4号,1979年,pp.14-17.村山 煕「保線機械化の歴史「軌道更新法への挑戦」(続編):昭和25年から約10年間の機械化の軌跡」『日本鉄道施設協会誌』37巻12号,1999年,pp.11-13.

20)伊能,前掲19.

21)越前 忠夫・須藤 博「バラスト更新機作業」『新線路』33巻9号,1979年,pp.40-41.

22)吉岡,前掲14,p.44に、休車札を挿した本機の写真(1974年12月撮影)が掲載されている。

23)貨車技術発達史編纂委員会編『日本の貨車:技術発達史』,2008年,日本鉄道車輌工業会.篠原,前掲10.鉄道日本社「保線の新鋭機バラストクリーナ」『施設教育』9巻8号,1956年,グラフp.