RM 62

写真:機関室側から見たRM 62
秋元 清「オーストラリアプラッサー社のバラストクリーナ」『新線路』23巻2号,1969年,グラフpより

 


 

RM 62はPlasser & Theurer製の道床交換作業車である。再使用可能なバラストを篩い分ける機能を持つため、バラストクリーナーに分類される。

本機種は日本国鉄において「車両」として扱われたが、実際には保守用車メーカーが設計・製造した保守用機械であり、本DBの掲載対象とする。

 

■概要

東海道新幹線は開業から半年も経たないうちに、道床からの噴泥に悩まされるようになった。その総延長は1966年7月には105kmにも達し、各所で旅客列車が徐行を余儀なくされていた。この対策として道床の防水・排水性を高めるため、バラスト道床をいったん全て撤去し、路盤上にクロロプレン(ゴムシート)を敷いて防水処理を施したり、横断排水管を設置したりしてから再度道床を形成する工事が行われるようになった。ところが、こうした工事は当初人力で行うほかなく、終列車から始発列車までの約5時間のあいだに50人で作業しても僅か25m程度の区間しか施工できず、非効率なうえ噴泥の増加速度に全く追いつけていなかった1)

 

RM 62
Plasser & Theurer『BETTUNGSREINIGUNGSMASCHINE RM 62』より
SLUB/deutche fotothek,Plasser & Theurer,Sächsische Landesbibliothek–Staats-und Universitätsbibliothek Dresden
PURL/https://www.deutschefotothek.de/documents/obj/86002330

こうした状況を改善するためバラスト撤去作業の機械化が検討されたたが、当時は泥濘状態のバラストをスクレイパーチェーン式の道床交換作業車で掻き出せるか技術的に不安があった。このため在来線用のMATISA 8 CB 5(ヤ110形)で再現実験を行ったところ、泥濘による回転不良や詰まりも無く使用できることが分かった。これを受けて新幹線にも道床交換作業車を導入することが決まり、Plasser & Theurer RM 62が1968年11月に1台輸入された2)。本機は938形道床更換車938-1として、「車両」扱いの工事用車に分類された3)

 

■構造

RM 62の形式図
松田 和夫「東海道新幹線用938形式道床更換車」『鉄道工場』20巻3号,1969年,pp.19-20.より

全長23.5mの車体上のうち、一方の車端には機関室、運転室、バイブレーションスクリーン(振動式ふるい分け装置)が、中央部にはスクレイパーチェーン(チェーンコンベア)とメインコンベアが、もう一方の車端には作業運転室とウェストコンベアが設置されている。ウェストコンベアは車体から7.5m突き出しており、左右に45度ずつ振ることが出来る。車体下部にはディストリビューターコンベア(散布コンベア)を備える。台車には油圧モータがあり自走可能である。

 

スクレイパーチェーンを挿入し、ウェストコンベアを貨車上に伸ばす938形
秋元 清「オーストラリアプラッサー社のバラストクリーナ」『新線路』23巻2号,1969年,グラフpより

作業時は作業運転台側が前となる。スクレイパーチェーンを軌框(レールとマクラギ)の下に通し、低速で進みながらチェーンでバラストを掻き出す。廃棄するバラストはメインコンベア・ウェストコンベアを経て線路脇や貨車上へ排出される。またバラストを途中のバイブレーションスクリーン篩い分ければ、再使用できる大きさのバラストのみをディストリビューターコンベアから再散布することができる4)

なおRM 62は標準仕様で自重が約70tあるが、日本国鉄に導入されたものは軸重制限の関係上、設計変更で約62tに抑えられている5)

 

■運用

輸入されたRM 62
背景に937形ホッパ車が見える
『Japan times』1968年12月7日号,p.10.より
(Plasser & Theurer『PLASSER & THEURER INFORMATION』所収)
SLUB/deutche fotothek,Plasser & Theurer,Sächsische Landesbibliothek–Staats-und Universitätsbibliothek Dresden
PURL/https://www.deutschefotothek.de/documents/obj/86002330

新幹線に導入されたRM 62は、1969年2月より先述の噴泥対策工事へ投入された。その施工方法は次の通りであった6)

 

RM 62を用いた噴泥対策工事の概要図
鬼沢 淳「新幹線における道床更換作業:特に噴泥処理について」『JREA』12巻5号,1969年,pp.20-22.より

図のように、作業線には本機とバラストレギュレーター(TMC101B改造)、マルチプルタイタンパー(BN 60)を、隣接線には前後を912形ディーゼル機関車で挟んだ937形ホッパ車7)の編成を配置する。まず、本機が作業線のバラストを撤去し、マクラギに仮受けをして排水溝を掘削する。次にクロロプレンシートを路盤上へ敷き、937形から新しいバラストを散布する。最後に作業線のバラストレギュレーターとマルタイで道床を再形成する、という流れである。

本機はバラスト篩い分け機能を持つバラストクリーナーであるが、上記の噴泥対策工事でその機能は生かされず、もっぱらバラストの掻き出しのみに使用された。対策工事が終了した後は、通常のバラストクリーナーとして使用される予定であったという8)

ところが、国鉄は在来線用バラストクリーナーのMATISA 3 CB 5と同じく、本機も十分に活用できなかった。やはり外国製バラストクリーナーは騒音が非常に大きかったため、沿線住民から苦情が殺到し、1972年度以降は使用が中止されてしまったのである9)。RM 62はたった3年程度しか活用されないまま、1979年度に廃車となった10)

こうして新幹線における道床交換作業車の導入は一度頓挫し、人力による作業へと逆戻りしてしまった11)。その後、改めて道床交換作業の機械化が進展していくに当たっては、より小型で騒音への配慮がなされた目黒工業製バラスト作業車が登場するのを待たねばならなかった。

 

■諸元

国鉄に導入された個体の諸元は以下の通り12)

全長(ウェストコンベア含む) 30965[mm]
全幅 3050[mm]
全高 4330[mm]
自重 62[t]
掘削深さ(マクラギ下面より) 0.25~0.48[m]
掘削幅 3.7~4.35[m]
バラスト処理能力 430[m^3/h]
メインコンベア搬送能力 600[m^3/h]
ディストリビューターコンベア搬送能力 300*2[m^3/h]
速度(自走時) 56[km/h]
速度(被牽引時) 70[km/h]
エンジン GM V-71 340[PS]/1800[rpm]
ブレーキ KEOa空気ブレーキおよび手ブレーキ

 

■文献

1)鬼沢 淳「新幹線における道床更換作業:特に噴泥処理について」『JREA』12巻5号,1969年,pp.20-22.松田 和夫「東海道新幹線用938形式道床更換車」『鉄道工場』20巻3号,1969年,pp.19-20.

2)鬼沢,前掲1.松田,前掲1.

3)新幹線における「工事用車」は、「保守用車」と同じく保守作業に使う車両である。保守用車は取扱上、上下線両方の終列車が相手停車場に到着した後の区間でないと走行・作業ができない。これに対し、工事用車は隣接線を営業列車が走行中でも、使用する線路の終列車が相手停車場に到着した後の区間であれば、作業を行わない状態なら走行することができる(つまり、回送運転であれば営業中の列車とすれ違うことができる)。このように、工事用車は保守用車よりも使用条件が緩和されている一方で、「車両」扱いのため運転できるのは資格を有する機関士のみであり、またATSの装備が求められるなどの制約がある。江崎 昭「新幹線運転取扱心得について」『交通技術』19巻10号,1964年,pp.6-8.矢吹 士郎「新幹線の工事用車及び保守用車の取扱」『新線路』21巻8号,1967年,p.22.

4)松田,前掲1.湯本 幸丸『写真解説保線用機械(改訂増補5版)』1980年,交友社.

5)Plasser & Theurer『BETTUNGSREINIGUNGSMASCHINE RM 62』,発行年不明,Plasser & Theurer.河村 浩「展望 保線機械の開発」『鉄道技術研究資料』26巻3号,1969年,pp.3-10.

6)鬼沢,前掲1.福田 武治「バラストクリーナによる路盤改良工法」『鉄道線路』17巻5号,1969年,pp.12-14.

7)937形ホッパ車は在来線用のホキ300形からの改造車である。ホキ300形は複線区間で隣接線にバラストを散布するために開発された貨車で、当初はホキ100形を名乗っていた。バラスト排出口にトリンマー(コンベアでバラストを飛ばす装置)を備えている。RM 62の導入に合わせ、噴泥対策工事用として1968年中頃までに全車計12両が新幹線用へと改造された。在来線時代はヤ50形電源車からトリンマー用電源を供給していたが、改造時に2両へ発電機が搭載され(937-100形)、単独で使用できるようになった。なお、改軌は台車を931形ホッパ車と交換する形で行われ、狭軌化された931形はホキ800形ホキ1761-1772に編入された。鬼沢,前掲1.梶山 正文「ファンの見た新幹線貨車」『鉄道ピクトリアル』44巻4号,1994年,pp.54-57.

8)鬼沢,前掲1.福田,前掲6.

9)宮本 潔「新幹線線路保守10年の歩み」『新線路』28巻10号,1974年,pp.6-11.

10)梶山,前掲7.

11)芳賀 隆「バラスト作業車による道床更新について」『鉄道線路』27巻9号,1979年,pp.9-13に「従来の道床更新は、人力にたよっており」という一文があり、この時点では人力作業に逆戻りしていたことが窺える。

12)工作局車両設計事務所 『国鉄車両諸元一覧表(昭和51年版)』,1977年,日本国有鉄道.湯本,前掲4.