日本国有鉄道の軌道バス(いすゞ・ジャーニーM)

国鉄時代に撮影されたジャーニーM型軌道バス。カラーリングは当時のいすゞ標準カラーと思われ、幼稚園バス等でも多く採用されていた。
村上(1996)p44より引用


■概要
日本国有鉄道(国鉄)が導入した軌道バスの第2世代である。
従前の軌道バスはダイハツ・ライトバスをベースシャーシとしていたが、販売終了となったため、ベースシャーシがいすゞ・ジャーニーMに変更されている。いすゞ・ジャーニーMも保線作業用自動車B2D形として国鉄に導入されていた車型であった。
昭和51(1976)年12月にJRS規格制定され、昭和53(1978)年に釧路鉄道管理局管内へ配備されたのを皮切りに導入が開始された。1)同規格ではベースシャーシ変更の他に、新幹線向け仕様の設定が廃止され、通常仕様のTB-NA型とベバストヒーター付き寒地仕様のTB-NB型が設定されている。2)
昭和54(1979)年9月の規格改訂で逆転機の追加等の改良が行われ、昭和56(1981)年3月の規格改訂では特定調達対象品目指定の為規格内容が修正されているが、基本的な仕様は昭和51年規格から殆ど変更されずに国鉄分割民営化とJRS規格自体の廃止を迎えた。導入年および総両数は判明していない。


1980年代頃の富士重工車両部のカタログに掲載されている軌道バス。TB-100という形式が見える。

本機種はいすゞ自動車と国鉄施設局の共同開発という形を取った1)が、販売については他の国鉄向け軌道モータカーと同じく富士重工業が行っていた模様で、当時の富士重のカタログにはTB-100という形式を与えられ他の軌道モータカーと一緒に紹介されている。純然たる自動車メーカーであるいすゞが走行装置の艤装を行えるとは思えず、実際は富士重が艤装作業を担当していたと思われる。

■ベースシャーシの解説


ベースシャーシであるいすゞ・ジャーニーM。
『バス要覧(1976年版)』,モーターマテリアル社,(1976)p34より引用

1970年代当時、いすゞは小型バスを数モデル並行して販売していたが、これらにはジャーニーというブランド名が与えられていた。軌道バスのベースシャーシとなったいすゞ・ジャーニーM(いすゞ・BL)は、昭和48年(1973)に姉妹車ジャーニーL(いすゞ・BE)と同時に登場したマイクロバスであり、小型トラック・エルフのシャーシをベースに開発されたモデルである。なおボデー架装はダイハツ・ライトバスと同じく川重車体が担当している。3)
発売以来殆どスタイリングが変わらないまま平成5(1993)年まで販売されるロングセラーとなったが、同年のモデルチェンジから日産・シビリアンのOEM販売となり、平成7(1995)年には並行して販売されていたジャーニーQ(北村製作所架装)の生産も終了したため、1990年代にはいすゞは小型バス市場から事実上撤退する事となった。

■参考文献
1)JRS規格「軌道モータカー(軌道バス)」
2)村上龍雄『私の知っているバス達(いすゞ自動車)』,ぽると出版,(1996)
3)80s岩手県のバス”その頃”『いすゞ自動車(小型バス)』
http://www5e.biglobe.ne.jp/~iwate/vehicle/extra/primer/coach/chassis_micro_daihatsu.html
(2023年2月11日閲覧)

■脚注
1)村上(1996)p44
2)昭和51年規格によると、TB-NAorBの”TB-N”とは”Track Bus Narrow”の事と記載されている。
3)現在のジェイ・バス㈱宇都宮工場の前身である。いすゞ・ジャーニーM生産中に経営母体が何度も変遷している(川崎重工業㈱岐阜工場→川重車体工業㈱岐阜工場→アイ・ケイ・コーチ㈱宇都宮工場)ため、便宜的に通称である川重車体と呼称する。