縦積除雪機械の開発経緯

アイキャッチ画像:石橋孝夫・高橋脩, 雪樋式縦積装置の開発, 鉄道技術研究所報告, 731号, 1970年10月より引用

 
イントロダクション


1960年代初頭、函館本線小樽-南小樽間では踏切事故が多発していた。
この区間において線路は大きなS字曲線を描きながら小樽市の繁華街稲穂・花園地区を分断する形で敷かれていた。当時、この区間に踏切は4か所存在したが、元から往来が多いことに加え、折からの自動車交通の増加、列車運行回数の増加により事故が多発していたのである。
このため、小樽市からの要請もあり国鉄はこの区間の高架化を決定。早速工事がはじめられた。
1964年9月、函館本線小樽-南小樽間の高架化工事が完成。この区間に320 mの高架橋が建設され、踏切廃止による保安性向上と市街地分断の解消が成しとげられた。

一方でこの高架橋はまもなく除雪困難区間として関係者を悩ませることになる。
この高架橋は当初より高架下を商店街として利用できるよう計画されていた。したがって、冬期に線路上の積雪を雪かき車などによって直接下へ落とすことがゆるされない。よって、高架上のところどころに雪捨て用の穴が用意された。この穴に落とされた雪はシュートを伝って高架下に貯められるという仕掛けである。
しかし、この雪捨て構造は寒さのために役に立たなかったという。
結局、雪捨列車を用意したうえで人手による除雪作業を行わざるを得なくなってしまうのである。

人海戦術による雪捨作業は当然ながら多額の経費が掛かる。しかし、それ以上にそもそも作業者が集まらないという問題があった。
1960年代、列車運行回数は増加の一途をたどっており、日中に列車間合いをみて雪捨列車を仕立てるということがほとんど不可能になっていた。したがって、雪捨作業は必然的に夜間に行うことになるが、それが作業者不足に拍車をかけていたのである。
このような問題がある中で、全国各地の都市部において鉄道高架化が計画され、函館本線小樽-南小樽間の高架橋のような除雪困難区間が今後増加すると予想された。

 
空気袋式雪卸装置+雪樋式縦積装置


1960年代後半、国鉄は単線上で自走しながら目の前の積雪を後方の貨車に積載できる装置、すなわち縦積除雪機械の開発を鉄道技術研究所(現:鉄道総合技術研究所)に委託する。

線路上の積雪を貨車に搭載する装置としては、スノーローダーが存在する。スノーローダーは欧米各国でさまざまな方式のものが開発されていたうえ、日本においても1950年代にキ950形式をはじめとするスノーローダーが開発されている。
スノーローダーは、前頭部の集雪装置によって雪をかき込み、ベルトコンベアによって後方の貨車に送り込むものである。キ950形式においては集雪装置の不具合が多かったことなどから開発がとん挫してしまっていた。

1960年代初頭にロータリー除雪装置を有する大型軌道モータカーとしてモータカーロータリーの開発が行われ、1960年代後半には既に全国に普及していた。
モータカーロータリーのロータリー除雪装置には投雪方向をある程度自在に変えられるシュートが備わっており、これを真後ろに向けられるようにすれば貨車へ雪を送り込むこともできると考えられた。
したがって、モータカーロータリーを集雪装置として用い、後方に連結した2, 3両の貨車へ雪を送り込むという基本方針が決定された。


▲縦積除雪機械編成(1970年式)
石橋孝夫・高橋脩, 雪樋式縦積装置の開発, 鉄道技術研究所報告, 731号, 1970年10月より引用


▲縦積除雪機械編成(1970年式)の模式図
石橋孝夫・高橋脩, 雪樋式縦積装置の開発, 鉄道技術研究所報告, 731号, 1970年10月より引用


▲縦積除雪機械編成(1970年式)の構成
石橋孝夫・高橋脩, 雪樋式縦積装置の開発, 鉄道技術研究所報告, 731号, 1970年10月より引用

貨車に搭載する雪卸装置には、1965年に同じく鉄道技術研究所によって開発された空気袋式雪卸装置が取り入れられた。
これはエンジンによって送風機を駆動し、貨車に搭載した雪卸コンテナ内の空気袋へ風を導入し、空気袋を膨らませることで雪を取り卸すものである。
念のために記しておくと、空気袋式雪卸装置は無蓋車(いわゆるトキやトラなど)に搭載するものであり、いわばアタッチメントである。


▲空気袋を膨らませたところ
石橋孝夫・高橋脩, 雪樋式縦積装置の開発, 鉄道技術研究所報告, 731号, 1970年10月より引用

よって、モータカーロータリーのシュートより各貨車の雪卸コンテナへどのように雪を送り込むかが今回の開発の肝となった。
かつてのスノーローダーではコンベアを用いたが、モータカーロータリーより送り込まれる雪の量に対してコンベアの移送能力が低すぎることが予想された。このため、移送装置としてはすべり台(雪樋)を用いることが考えられた。
雪樋の開発に当たり要点となったのは二つ、樋の内張として用いる低摩擦素材の選定と、雪の積載度合に応じて伸縮可能な雪樋構造の開発である。

雪樋の内張はすべりを良くする必要がある。テフロン系の素材を貼る必要があることは容易に想像されたが、実際にどのような素材が適するかは鉄道技術研究所としては未知の領域であった。
そこで、スキー板の裏張り材料にヒントを求め、スポーツ用品メーカーの美津濃(現:ミズノ)に協力を仰ぐ。その結果、同社が開発したテフロン・ポリエチレン混合のF.L.ソールと呼ばれるシートを採用することが決まった。
鉄道保線機械の開発にスポーツ用品メーカーの協力を得たという前代未聞の一幕であった。

雪樋の伸縮機構については開発の中でもっとも難しかったとされる部分である。
雪樋はモータカーロータリーの運転室上に設置される固定雪樋と、貨車に搭載する移動雪樋、貨車の連結部に装着する渡り板から構成される。
移動雪樋はウィンチに牽かれてガイドレール上を走行することで伸縮する。ガイドレールは9 kg/mレールをロングレール様にしたもので、雪卸コンテナの送排気管上に設置される。


▲雪樋上を雪がすべる様子
石橋孝夫・高橋脩, 雪樋式縦積装置の開発, 鉄道技術研究所報告, 731号, 1970年10月より引用


▲雪を雪捨コンテナに導入する様子
石橋孝夫・高橋脩, 雪樋式縦積装置の開発, 鉄道技術研究所報告, 731号, 1970年10月より引用

空気袋式雪卸装置+雪樋式縦積装置は1970年に完成し、同年2月に札幌保線区にて試験が実施された。
その結果、雪の積み込み・取り卸しに支障はなく雪樋も不具合なく動作良好ということであった。
雪捨列車に比べて高能率であり、除雪困難区間や操車場などの除雪に有効な機械であると結論づけられている。
その後、この方式の縦積装置は北海道内に配備され、1977年時点で札幌、岩見沢、旭川、南稚内に配置されていた。

 
投雪機械+雪樋式縦積装置


前項で取り上げた空気袋式雪卸装置+雪樋式縦積装置方式の縦積除雪機械は1970年代に実用化され、北海道内の機械除雪が困難な高架橋区間や駅・操車場内で用いられた。
一方、本州においては機械除雪が困難な箇所にはスプリンクラーや流雪溝による融雪設備が整備された。内地は北海道内に比べてさほど寒冷ではないため、水が凍り付いてしまう心配がないためである。
しかし、水源に乏しい場所ではこれらの融雪設備を設置することができないため、相変わらず人力除雪に頼らざるを得なかった。また、時代が下るにつれて鉄道用地のすぐ近くにまで民家が建ち並ぶようになり、機械除雪が困難となる区間が拡大するようになっていた。更に前項で述べたように除雪作業者の不足がますます深刻化していた。

このような課題に対処すべく、国鉄金沢鉄道管理局では1970年代後半に新たな縦積除雪機械を開発する。
そのコンセプトは、北海道内で用いられた縦積除雪機械とは似て非なるものであった。
まずモータカーロータリーにより集雪し、伸縮式の雪樋により後方の貨車(今回は鉄製トロ)に移送する。ここまでは前項と同一である。
大きく異なるのは、貨車上に積載した雪の捨て方である。貨車上に小型のロータリー除雪機を載せ、貨車上を走行させることで雪を外へ投雪するのである。


▲縦積除雪機械編成(1983年式)
竹元和久, 雪樋式縦積除雪機械の開発, 新線路, 37巻, 11号, 1983年11月より引用

空気袋式雪卸装置は画期的な装置であったが、いくつかの欠点があった。
一つは空気袋が経年により劣化し破損すること。もう一つは雪を取り卸す際、雪が貨車のすぐ近くにしか落ちないことである。
そこで、貨車の上にロータリー除雪機を載せて走行させるという発想に至ったのである。
編成間をロータリー除雪機が走行することを考慮すると、貨車の連結部は貫通できるようにしなければならない。そのため、専用の鉄製トロを新造して用意することになった。

ロータリー除雪機については、モータカーロータリーの除雪装置同様のブロア形状を持つものとし、専用のエンジンによって駆動される。
走行方法については、鉄製トロの中央にチェーンを張り、編成端に設置された油圧モータによって駆動スプロケットを巻き取ることで走行する。


▲専用鉄製トロの上を走行するロータリー除雪機
竹元和久, 雪樋式縦積除雪機械の開発, 新線路, 37巻, 11号, 1983年11月より引用

雪樋については、北陸地方の水分を多く含んだ雪では雪樋の表面に付着してしまうことが心配された。
そこで、開発陣が鉄道技術研究所に相談したところ、やはり北海道の縦積除雪機械の雪樋に採用されたF.L.ソールを使用することが最適であるという結論が出た。

これら金沢鉄道管理局式の縦積除雪機械は1977年に新潟鐵工所で製作された。
完成後の試験は1978年3月に越美北線越前大野駅構内にて実施される。この年は雪が少なかったため、ダンプカーやモータカーロータリーなどで残雪を集めて来て、試験線となる側線上に雪を積み重ねるという一幕もあった。
そうして行われた試験では、通常の雪質であれば十分実用可能という結論が出た。
そののち1985年に至り、前年の五九豪雪における輸送障害への対策として新潟鉄道管理局が一編成導入している。
これは豪雪地区にも関わらず都市化が進み、線路際にも民家が密集している信越本線高田駅付近向けであった。


▲新潟地区に導入された縦積除雪機械編成(1985年式)
新潟鉄道管理局編, 雪にいどむ 写真集, 新潟鉄道管理局, 1987年より引用

 
エピローグ


1970年代から1980年代にかけて北海道と北陸地方で開発された縦積除雪機械の数は、双方を合わせても6編成分のみである。
この数の少なさや、出動時間帯が限られることから、縦積除雪機械が活躍している姿の記録は極端に少ない。
特に北陸・新潟地区の2編成分については、1980年代の登場であり、JR化後も活躍したことが予想される。しかし、それにしても記録に乏しい。
一体いつ頃まで使われたのか。なぜ後継車が生まれることなくついえたのか。謎は深まるばかりである。

 
参考文献


石橋孝夫・高橋脩, 雪樋式縦積装置の開発, 鉄道技術研究所報告, 731号, 1970年10月
石橋孝夫・高橋脩, 雪樋式縦積装置の開発, 鉄道技術研究資料, 28巻, 3号, 1971年3月
北海道防災会議, 昭和52年度北海道雪害対策実施要綱, 北海道防災会議, 1977年
縦積み除雪機械の試運転が行われた, 新線路, 37巻, 4号, 1983年4月
竹元和久, 雪樋式縦積除雪機械の開発, 新線路, 37巻, 11号, 1983年11月
国鉄施設局保線課, 縦積除雪機械の開発, JREA, 26巻, 8号, 1983年8月
桜井健一, 新潟局の雪害対策, 国鉄線, 41巻, 2号, 1986年2月
新潟鉄道管理局編, 雪にいどむ 写真集, 新潟鉄道管理局, 1987年