※本投稿は撮影者の梶山正文様の許可を得て代理投稿しています。
1993/08/12
浜松レールセンター
梶山正文氏撮影
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1994/05/02
浜松レールセンター
梶山正文氏撮影
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東海道新幹線のレール探傷車 923-1の2代目付随車として1976年頃に登場したと推定される。
(初代付随車は1972年頃の登場)
923-1がRD-100に置き換えられた後も本車はRD-100の付随車として使用された。
なお、日本車輛の製造所銘板があるものの同社製の探傷車とはスタイルが大きく異なる他、堀川工機のカタログに記載があることからも実際の製造所は堀川工機とみられる。
参考文献
鈴木孝治『新幹線のレール探傷車』,新線路,26巻,11号,鉄道現業社,(1972.11)
中村隆一『新幹線レール探傷車の改良』,新線路,30巻,10号,鉄道現業社,(1976.10)
堀川工機株式会社『RAILWAY MOTOR・CAR & DISEL LOCOMOTIVE』