(写真:稼働中の本機種。自衛隊の前身である保安隊の鳩のエンブレムが装飾されている。
ボンネットに三菱マークの打刻が無くウイリス社名のみである事から初期の三菱ジープである事が分かる。伊地知(1962)より引用)

第101建設隊が保有していた9600形蒸気機関車と隊員の記念写真。伊藤(1991)p57より引用。
■概要
陸上自衛隊第101建設隊は、昭和35(1960)年2月に創設された自衛隊史上唯一の鉄道部隊である。
当時は国鉄の労働運動によりストライキが頻発しており、国鉄運休時等の非常事態に鉄道輸送を代行する目的で創設された。
但し国鉄の代行以外にも災害時の復旧作業や鉄道施設の建設も主任務としており、部隊の戦力として9600形蒸気機関車を保有していた他、作業用モータカー等の保守用車も多数保有していた。
同隊は昭和37(1962)年に国鉄と共同開発し軌陸ジープを導入している。
ベースシャーシに選ばれたのは、自衛隊が1/4tトラック1)として保有していた昭和29(1954)年式の三菱ジープCJ-3B-J4型1台2)3)である。
構造は鉄輪とホイールを交換する方式の軌陸車であり、キャップスクリューによる交換を採用している点など、既に国鉄が開発・実用化していた架線保守車と仕様が近似し影響が垣間見える。
但し油圧式自動転車台を装備していた架線保守車と異なり、本機種は手動ジャッキと回転装置を用いた手動にてホイール交換と転車を行う。
また本機種の開発は架線保守車を実用化した電気局ではなく施設局が担当している。本機種の報告である伊地知(1962)を執筆した伊地知堅一は当時の施設局保線課長であり、本機種の開発にも関わっているものと思われる。4)

本機種の転車風景。手動ジャッキおよび回転装置が見える。伊地知(1962)より引用。


本機種のタイヤハブ部(上)と鉄輪装着状態(下)。架線保守車と同様のスクリューキャップで鉄輪およびホイールを固定している。伊地知(1962)より引用。
本機種は昭和37(1967)年6月18日付で軌陸車へ改造され2)、同年6月24日から7月6日まで国鉄久留里線にて性能研究演習が隊長・副隊長指揮によって行われた。5)また昭和39(1964)年6月16日に発生した新潟地震による新潟駅構内復旧のため出動している。6)これ以外にも日頃の各種演習等で出動する機会はあったものと思われる。
なお第101建設隊は当初想定していた輸送代行任務としての出動は結局一回も行われず、部隊自体も昭和42(1966)年に解隊されてしまった。部隊解隊後の本機種の動向は詳細不明である。7)
■参考文献
1)伊地知堅一「軌道・道路両用ジープの試作」,新線路,16巻9号(1962.9)
2)伊藤東作「幻の鉄道部隊 消えた第一〇一建設隊」,かや書房,(1991)
3)GP企画センター「国産ジープタイプの誕生 三菱・トヨタ・日産の四輪駆動車を中心として」,グランプリ出版,(2018)
■脚注
1)自衛隊では三菱ジープはトラック扱いであり、積載量からこのような名称となっている。
2)防衛庁公文書「ジープCJ‐3B‐J4改型1/4トン4×4軌道・道路両用連絡車ほか2件の道路運送車両法の適用除外の指定について(案)」
3)CJ-3B-J4型は新三菱によって保安庁および防衛庁へ販売されたモデルを指す。従って新三菱製の国産であるが、伊藤(1991)等の文献では米軍から供与された個体であると誤って紹介されている。
4)門田勲「国鉄物語」,朝日新聞社,(1964)、柳井潔「戦うビルマ鉄道隊」,乙三ビルマ会本部,(1962)、伊地知堅一「ロングレール作業 改訂版」,鉄道現業社,(1967)にて伊地知の経歴を参照したところ、伊地知は戦時中に陸軍鉄道第5連隊で中隊長を務めており泰面鉄道建設任務に当たっていた。鉄道連隊の再来と言える第101建設隊と関わり本機種を生み出した事は単なる偶然であろうか。
5)伊藤(1991)p62
6)伊藤(1991)p60
7)Wikipediaの記事「陸上自衛隊の装備品一覧」には部隊解隊後に別部隊で通常の乗用車として使用されたとの記述があるが、典拠が明らかにされておらず信憑性に疑問がある。(令和6(2024)年2月25日閲覧)


